後藤翔太 (参政党)

2026年5月29日・第221回国会 参議院 本会議 第17号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 16 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 69 発言)

参政党の後藤翔太です。

私は、会派を代表して、学校教育法等の一部を改正する法律案について質問いたします。

本改正法案は、教科用図書という紙媒体を前提した文言を、デジタルな形態を含み得る教科書という文言へ改める点に大きな特徴があります。

文部科学省の説明資料には、本改正によって教科書は、紙、デジタル、ハイブリッドの三類型から選択できるようになる、受け取ることのできる記載が見られます。

しかし、教科書の形態に関する具体的内容は教科書検定基準などの下位規定に委ねられていることから、正確な説明ではありません。あくまで紙に限定されなくなるというものです。

分かりやすさを優先したと推察いたしますが、デジタルには、我々が現在想定できない広がりを見せ、この三類型にとどまらない可能性もあることを踏まえると、結果的に文部科学省の説明資料には、これからの教科書は三類型から選択するものだというミスリードが含まれてしまい、政策議論を限定的なものにゆがめてしまったのではないでしょうか。文部科学大臣の見解をお伺いします。

これまでの議論の多くは、中教審、令和の日本型学校教育答申の枠組みの中で行われてきました。その中心は、デジタルデバイスが知徳体に与える影響、すなわち、学力、社会情動的スキル、非認知能力、健康への影響に関する議論であったように感じます。

そこで、デジタルデバイスが児童生徒の知育、徳育、体育に与える影響について、文部科学省として現時点でどのように評価しているのか、文部科学大臣に総括的な見解を伺います。

ただしかし、そもそも考えるべきなのは、教科書が教育行政においてどのような役割を果たしてきたのか、そして、本改正によってその役割がどのように変化し得るのかという点ではないでしょうか。

教科書が存在することで、北は北海道、南は沖縄に至るまで、全国の子供たちが、学習指導要領と教科書検定に基づく一定の内容を学んできました。そこには、全国どこでも同じ教育を受けられるという教育の水平的平等を支える役割がありました。

我が国の教科書制度の歴史を振り返れば、一八八六年の検定制導入、一九〇三年の国定化、一九四八年の検定制復活、常に、どこまで記載内容の差異を認めるか、これが争点となってきました。言わば、教科書をめぐる内容軸の議論です。

今回の改正は、そこに新たに媒体軸を加えるものです。紙なのか、デジタルなのか、あるいはハイブリッドなのか、内容だけでなく、媒体そのものに差異が生じることになります。その結果、教科書間の差異は従来以上に複雑化し、児童生徒の学習体験は大きく多様化する可能性があります。

しかし、それは同時に、全国どこでも同じ教育を受けられるという教育の水平的平等を弱めることにもつながりかねません。学校教育体験を共有することは、ネーションとしての一体感形成にも関わる重要な要素であると指摘されています。

令和の日本型学校教育答申では、ICTの効果的活用による個別最適な学びが提唱されていますが、その推進が紙の教科書と学習指導要領、教科書検定が相まって担保してきた教育の水平的平等を損なうことにならないのか、文部科学大臣の見解を伺います。

さらに、教科書に媒体軸が加わることで、考慮すべき点は飛躍的に増加します。なぜなら、デジタル教科書は単なる本ではなく、情報システムだからです。情報システムは、ハードウェア、ネットワーク、OS、プラットフォーム、データ形式、互換性、セキュリティー、UI、UX、アルゴリズム、そして家庭環境、挙げれば切りがないほど多数の要素に依存します。

つまり、教育環境の整備は、紙の教科書のようにシンプルではありません。これらを全国的な水準で整備し、全国どこでも同じ教育を実質的に保障することは並大抵のことではないと考えます。全国の自治体で本当にそれが可能なのでしょうか。

例えば、本年三月に公表された学校のネットワーク状況に関する調査では、全ての授業で多数の児童生徒が同時に端末を活用しても支障が生じない水準である必要なネットワーク速度を確保済みの学校は六三・九%でした。全国どこでも同じ教育と言える水準にはありません。文部科学大臣の現状認識を伺います。

また、私は、デジタル教科書をめぐる議論では、デジタル教科書とは何かという形態論そのものが十分に議論されていないのではないかと感じています。

多くの人は、デジタル教科書と聞くと、電子書籍の延長をイメージされるかもしれません。しかし、教科書検定などの下位規定次第では、その形態は大きく変わり得ます。

二〇〇〇年代には、ニンテンドーDSの学習ソフトが普及しました。二〇二五年には、ADHD治療用ゲーム、エンデバーライドが医療機器ソフトウェアとして薬事承認されています。また、企業研修ではe―ラーニングが広く活用され、医師の手術教育にはVRも導入されています。

こうした事例を踏まえれば、デジタル教科書は、キンドルのような単なる電子書籍にとどまらず、ゲーミフィケーション要素やVR、インタラクティブ機能などを含む多様な形態へ発展していく可能性があります。

このつかみどころのなさこそが、教育現場や保護者の抱えるデジタル教科書への不安や忌避感の背景の一つではないでしょうか。教育の場にどのような媒体が入り込み、認知発達や学習体験をどう変容させていくのか、この将来像について十分な社会的合意が形成されているとは到底言えません。

文部科学省は、デジタル教科書の将来的なハード、ソフトの到達点をどのように見据えているのでしょうか。電子書籍の枠組みを超えた発展可能性をどこまで想定し、制御しようとしているのでしょうか。文部科学大臣の見解を伺います。

さらに、デジタル教科書は情報システムである以上、学習ログや生体データの収集、活用が技術的に可能になります。アップルウォッチのようなデバイスと組み合わせると、その可能性の幅は大きく広がります。

しかし、こうしたデータ収集と活用は、児童生徒のプライバシーや人格形成にも深く関わる問題であり、情報セキュリティーのリスク、デジタル主権の観点からも極めて慎重であるべきです。情報の管理が不適切な場合、抜き取られて悪用されてしまう危険すらあります。

ICTの効果的活用による個別最適な学びでは、こうした学習ログや生体データの活用をどこまで視野に入れているのでしょうか。文部科学大臣に伺います。

改めて、強調したい点を三点申し上げます。

第一に、本改正法案は、紙、デジタル、ハイブリッドの教科書の三類型を直接規定するものではありません。あくまで教科用図書を教科書に改めるものであり、具体的内容は教科書検定基準などの下位規定に委ねられています。本法案は、教科書を紙に限定する規定を削除するものであって、その意味で、本法案によって三類型が認められるという説明には一定のミスリードが含まれており、議論が限定的になっているおそれがあります。

第二に、デジタル教科書は、紙の教科書のようなシンプルな媒体ではなく、多数の条件に依存する情報システムです。全国どこでも同じ教育を保障するためには、極めて高度で継続的な環境整備が必要になります。

第三に、デジタル教科書は、単なる電子書籍にとどまらない可能性を持っています。デジタルの恩恵を受けられる希望的な側面がある一方で、デジタル技術の可能性の無限の広がりを持つことから、自由度が高まり過ぎることによって、教育行政や教育現場でのコントロールが困難になるおそれがあります。しかし、この将来像や形態についての議論は、いまだ十分とは言えません。

以上の理由から、デジタル教科書についての制度、社会的議論が十分尽くされないままの、この可能性を大きく切り開く本改正法案には、私は懐疑的であります。

もっとも、その一方で、学校現場におけるデジタル化が既に相当進んでいることも事実です。

私自身、先日、我が党の渡辺藍理衆議院議員とともに、ある小中学校を視察し、実際にデジタル教材にも触れさせていただきました。現在の児童生徒には、日常的にICTやデジタルデバイスに接する環境の中で学ぶ、言わばデジタルネイティブ世代であると言ってよいと思います。

そして、教育は学校の中で完結するだけ、するものではありません。児童生徒は、やがて社会へ出て、日本社会を支える主体となります。

では、デジタル社会形成基本法の掲げるデジタル社会において、次世代を担う子供たちにはどのような活躍が期待されているのでしょうか。デジタル大臣のお考えを伺い、私の質疑を終わります。

ありがとうございました。(拍手)

〔国務大臣松本洋平君登壇、拍手〕

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