志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐

2026年6月25日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第23号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 40 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 88 発言)

大変重要な御質問をいただきまして、誠にありがとうございます。

まず、私のインタビューにお目通しをいただいたこと、大変光栄に存じます。そして、大変重要なところに目を留めていただきました。

切実な思いを抱えて、思い余ってとがった表現をしてしまう人が出てくるということは、洋の東西を問わず、かなりあり得ることです。そして、日本では特に、侮辱的な表現でなくても政治的表現をすること自体を不快がる人がSNSなどを見ていると非常に多い。そのために、私は、不快感や嫌悪感というものを処罰の根拠、構成要件とすることは非常に危ういということをまず一番大きな原則として述べたいと思います。

そして、思い余って器物を損壊するとか、それから公式に掲揚されている国旗を損壊するといった場合には、器物損壊罪や公務執行妨害罪などで現在処罰は可能ですので、そうしたことは犯罪行為としての処罰は免れないと私も思っております。そこは同感でございます。

また、宗教感情を保護するということにつきましては、これは、宗教というのは私人の信教の自由が保護されていまして、その思いというものを保護法益として尊重するということになっていますが、国家自体は、政教分離原則によって、国家が宗教あるいは宗教感情を持つということは憲法上禁止されております。したがって、宗教信条を保護する法令を国旗損壊罪の根拠にすることは、残念ながら日本国憲法上は不可能であるということになると思います。

そして、最後の問題は国の名誉という問題でした。最初の、去年の暮れまでの案では国家の名誉を保護するということが立法目的であったと思われますが、それが国民の不快感、嫌悪感という問題にだんだん変わってきたというふうに認識しております。そして、国民、人間というのは生身の心を持っていますので、傷つき得る人格を持っています。侮辱を受けたときに、もう立ち上がれない、社会生活ももうできなくなるという人が出るということがあり得るのですが、国家というものは、その意味での生身の人間と同じ傷つき得る人格を持っているわけではありませんので、この場合、国の名誉というものをこのような処罰規定によって守るということは、憲法に照らしたときに必要性はないのではないか。むしろ、必要なことは、国が国民に尊敬される政治を行うこと、これを目指すことではないかと考えております。

最後に、ジョン・スチュアート・ミルというイギリスの政治哲学者がいたんですけれども、この方が、こうした方がいい、これが道徳であるといったような事柄は、説得の材料にはなるが法強制の根拠にはならないという趣旨のことを述べておりまして、これが現在の憲法や多くの刑法学者の共有するところとなっております。私もその考え方を共有しております。

以上です。

前後のやりとり

36の発言を見る

44の発言を見る