ありがとうございました。
また、給特法をめぐる審議の中であったのは、教育課程の実施に伴う負担について、これも議論になりました。この点について、教師の働き方の視点のみならず、子供たち一人一人がこれからの時代で幸福に生きていくために必要な教育を実現するという、学習者の視点で考えるということも重要だと我々は訴えてまいりました。
例えば学習内容については、昔と比べて学習をする内容が多岐にわたるという指摘もあります。また、単に減らしていけばよいというのではないということもあります。以前にも増して高度化、複雑化する社会の中で、子供たちが幸福に生き抜いていくために必要な力、これをしっかりつけてあげないと将来困るのは子供たちであって、これからの社会で求められる学習内容の充実と子供たちの学習の負担のバランス、これを考えていかなければならないと思っております。
また、授業時数についても、単に減らせば子供たちの負担が減るのではなくて、仮に一日五時間だったとしても、自分で考える余地のない一方通行の授業であれば、子供たちにとって負担感は大きいと考えられます。一日に六時間の授業があったとしても、子供たちが温かい雰囲気の中で学び合いながら、自ら興味、関心に応じた学びをできる時間、これがあれば、子供たちにとって負担感は小さく、また、資質、能力の育成や不登校の減少にもつながっていくのではないかと考えられると思っております。
また、加えて、学校での学びの時間が減れば、学校外学習への投資ができる家庭に一層有利な環境となり、教育格差が広がるのではないかという懸念の声もいただいていたところでもございました。
そこで、無藤参考人と堀田参考人にお伺いをさせていただきますけれども、このように、教育課程の実施に伴う負担を考えるときに、時数や学習内容の単純な量だけで議論するのではなくて、子供たち一人一人が輝く授業づくりの在り方、また格差拡大の防止といった様々な視点から、バランスのよい議論を行っていくことが重要だと考えています。我が国の公教育の質を一層高めて、様々難しい環境にいる子供も含めて、多様な子供たちが誰一人取り残されない環境を整えつつ、過度な学習負担を生じさせない在り方について御意見をお聞かせいただければと思います。
60大大森直樹東京学芸大学現職教員支援センター機構教授
御質問ありがとうございます。
私も、柔軟性であったり裁量という言葉はとても大切な言葉だなというふうに思っております。そのときに、柔軟性あるいは裁量性、言葉は一つでも、歴史の中でちょっと意味合いが異なっているのかなというふうに考えております。多くの人が思っている以上に、戦前にも実は柔軟性や裁量性も部分的にはございました。
例えば、授業時数ですと、週二十こまという形に決まっておりますから、これは大変分かりやすいですよね。年間千十五時間やりましょうと言われるよりも、二十こまやりましょうというとイメージがしやすいので、このときは教員も子供も、学校での学習とい…
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61堀堀田龍也東京学芸大学教職大学院教授
浮島先生、御質問ありがとうございました。
私は、大事なことは三つあると思っております。
まず一つ目は、弾力的に運用できるような学習指導要領、渋谷のようなことがどこの学校でも校長のリーダーシップの下でできるような、そういう学習指導要領の柔軟性みたいなことがまず一つ。これは、次の学習指導要領はそういう方向に向かっていると思っております。
二つ目は、子供たちが自分の学びたいことをしっかりと自覚できているかどうかということだと思います。これは、いろいろな勉強の中で、僕は特にここに興味があるみたいなことを語る場があればあるほど子供たちは自覚できるようになりま…
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62澤澤田稔上智大学総合人間科学部教授/教職・学芸員課程センター長
御質問ありがとうございます。
私も、そういった探求型の学びが拡充していくことというのは非常に大事なことだろうというふうに考えております。
それで、御質問いただいて二つのことを考えておりますけれども、一つは、今までの知識中心の学習指導要領の場合には、それが書き込まれたらそれを教えるということでストレートにそれを受け止めればよかったんですけれども、探求型というのは子供たちの主体的な学びということになりますので、私の解釈でいうと、先生がレールを敷いているだけでは駄目ということになるので、どうしてもやはり試行錯誤、失敗もあるし、それから、生徒に振り回される。…
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- (上の発言)
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浮島智子(公明)
ありがとうございました。
また、給特法をめぐる審議の中であったのは、教育課程の実施に伴う負担について、これも議論になりました。この点について、教師の働き方の視点のみならず、子供たち一人一人がこれからの時代で幸福に生きていくために必要な教育を実現するという、学習者の視点で考えるということも重要だと我々は訴えてまいりました。
例えば学習内容については、昔と比べて学習をする内容が多岐にわたるという指摘もあります。また、単に減らしていけばよいというのではないということもあります。以前にも増して高度化、複雑化する社会の中で、子供たちが幸福に生き抜いていくために必要な力、これをしっかりつけてあげないと将来困るのは子供たちであって、これからの社会で求められる学習内容の充実と子供たちの学習の負担のバランス、これを考えていかなければならないと思っております。
また、授業時数についても、単に減らせば子供たちの負担が減るのではなくて、仮に一日五時間だったとしても、自分で考える余地のない一方通行の授業であれば、子供たちにとって負担感は大きいと考えられます。一日に六時間の授業があったとしても、子供たちが温かい雰囲気の中で学び合いながら、自ら興味、関心に応じた学びをできる時間、これがあれば、子供たちにとって負担感は小さく、また、資質、能力の育成や不登校の減少にもつながっていくのではないかと考えられると思っております。
また、加えて、学校での学びの時間が減れば、学校外学習への投資ができる家庭に一層有利な環境となり、教育格差が広がるのではないかという懸念の声もいただいていたところでもございました。
そこで、無藤参考人と堀田参考人にお伺いをさせていただきますけれども、このように、教育課程の実施に伴う負担を考えるときに、時数や学習内容の単純な量だけで議論するのではなくて、子供たち一人一人が輝く授業づくりの在り方、また格差拡大の防止といった様々な視点から、バランスのよい議論を行っていくことが重要だと考えています。我が国の公教育の質を一層高めて、様々難しい環境にいる子供も含めて、多様な子供たちが誰一人取り残されない環境を整えつつ、過度な学習負担を生じさせない在り方について御意見をお聞かせいただければと思います。
64無無藤隆白梅学園大学名誉教授
日本の学校教育は、あくまで、小中は義務教育であり、高校はそれに準ずるものであるわけですが、当然、公教育として目指すところがあります。それは、日本人としてしっかり生きていくと同時に、これからの高度化する社会に応じて、それを自分なりにこなしていかなければならない。そういう意味で、学習内容はある意味で高度化していくものである。先ほど申し上げましたけれども、その高度化を単に羅列的に増やすのではなくて、いかに構造的にしていくか、これが問われるというのが第一。
もう一つは、その構造というのは与えられるものではなくて、子供自身が教師の手助けの下でつくり出していかなけ…
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65堀堀田龍也東京学芸大学教職大学院教授
ありがとうございます。
教師の負担の観点は非常に重要だと思う一方で、子供たちの目線で考えると、子供たちにとって学びやすいかどうかというのはとても大切なことかと思います。先生おっしゃったように、同じ授業でも、ずっと先生がしゃべっているのを聞いていなきゃいけない苦痛というのは、子供によっては非常にしんどいものでございます。
先ほどから私が紹介している、ICTも使いながら子供たちが自分のペースで様々なリソースに当たりながら学ぶ、この割合を全体の教育課程の中である程度増やしていくという考え方は、子供たちは非常に学びやすくなり、そして自己実現感が非常にあります…
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浮島智子(公明)
ありがとうございました。
これで終わらせていただきます。
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