屋良朝博 (立憲民主党)

2024年12月19日・第216回国会 衆議院 安全保障委員会 第4号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 31 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 156 発言)

委員長、そして両大臣、よろしくお願いいたします。立憲民主党の屋良でございます。

所信の質疑ということで、これは石破総理もおっしゃっていたわけですけれども、沖縄の負担軽減を政府の重要な課題として取り組んでいただけるということを繰り返し所信で表明していただいているということでございます。

ここで、言葉の意味というか、負担軽減とはどういうことなのかということを、まずそもそも論で議論させていただきたいと思っております。

両大臣とも安全保障、防衛については大変精通なさっているお二人なので、そこのところ、そもそも論になりますけれども、負担とはどういうものなのか、それを軽減するとはどういうものなのか、最近グアムへの移転が始まったという報道もありますので、そういったところも突っ込んで少し議論させていただきたいと思っております。

一般的に、沖縄の基地というのは、戦争が終わって米軍が駐留してそのままずっと駐留しているというイメージがあると思うんですけれども、それは間違っていて、戦争が終わった直後は本土側の方が駐留米軍はずっと多かったわけです、御承知のとおり。比率で言うと八対二、ほとんど本土だったんです。それがどんどんどんどん沖縄に移転してきた。今、沖縄の米軍基地の七割を占有している海兵隊です。だから、全国の中で沖縄に米軍基地が七割集中しているんだよという数字はよく出てきますけれども、沖縄の中でどれぐらいの部隊のシェアかというと、七割が海兵隊です。

その圧倒的に大きな存在である海兵隊がそもそもどこにいたのかというと、余り広く知られていない。そもそもは岐阜県や山梨県や静岡県に分散配置されていた。一九五〇年来、朝鮮戦争があって、朝鮮半島を警戒するために海兵隊が日本に配備されたのが初めであります。

それが沖縄になぜ来たのかということです。岐阜県とかに配備されたのは一九五三年。沖縄に移駐してきたのが一九五六年で、僅かな間です。それはなぜかということを議論させていただきたいんですけれども、資料一でまとめてみました。

一九五〇年代というのは、六〇年安保とか七〇年安保にかけて国内のあちらこちらで基地の反対運動があった時代です。その中で海兵隊が来て、海兵隊に対しても反対運動が起きたということです。

そんな中で、アメリカの政策は、在日米軍に対する日本国民の反対が強くなって政治的なコストが高くなると日米関係は不安定になるから、沖縄に集めましょうということをはっきり書いてあるアメリカ国務省の一九五六年十二月二十一日付の日本における米国の軍事的立場の再考というレポートがありまして、その中に何が書かれているかというと、米軍基地の存在を日本国民の目に留まりにくいようにして、反基地感情を減らすべきだ、日本に駐留する政治的コストが高騰した場合、本土から撤退し、沖縄を主要基地として保持し続けるというふうに書かれております。

ということは、今、抑止力の維持、あるいは地理的優位性、安全保障の問題、日米同盟の問題という言葉でいろいろ沖縄の基地について説明がなされますけれども、元をたどれば、政治的な判断で、日本国内で基地問題をクローズアップさせたくなかったというのが当時の判断であったということが言えると思うんです。

大臣、政治的な背景があったということについて大臣の御見解を伺いたいんです。中谷大臣、よろしくお願いします。

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