正確に言いますと、これはお答えは差し控えないといけないというふうに思っておりますという御答弁なんですよ。
私は、二〇一〇年に参議院議員になりまして、そのときから様々な問題に取り組んでまいりましたけれども、当時から、当時民主党政権なんですけれども、内調の職員が定期的に私の部屋にいらっしゃいました。そして、公刊情報、新聞とか週刊誌のコピーを毎週持ってきてくださったので、とても助かった、ありがたかった。毎週いらっしゃっていた。神奈川県警からの出向の方でした。特に秘書さんとは仲よくなって、時には食事をされるようなことだった。
それが、民主党政権が二〇一二年の十二月に安倍政権に替わりました。政権が替わったのに、それからも私の部屋に、人はどんどんどんどん、人事異動で内調の方は替わったんだけれども、私の部屋には神奈川県警の出向の方がずっと来ていらっしゃったんです。
そういう状況の下で、私がお聞きをしたいのは、実はこれからは自分の体験を語らなければいけません。
内調の職員の方々が神奈川県警の出向だっただけではなくて、私によく情報を聞きに来てくれた防衛省の情報担当の方も神奈川県警の出向者でした。
実は私は、二〇一二年の二月から二〇一六年の夏まで、横田滋さん、早紀江さんと三人だけのミッションをお互いに確認して、誰にも分からないように、定期的に四年近くお会いしておりました。
横田夫妻というのは、当時は、恐らく今もそうでしょうけれども、一週間に誰にお会いするのか、メディアの人あるいはいろいろな団体の人に会う、それをA4判の紙に書いて、今週はこの人に会うんですということを神奈川県警にファクスで毎週送っていたんです。恐らく、早紀江さんは今もそうでしょう。
当時、滋さん、早紀江さんと私は、三人だけで、共通の目的があったので定期的に話し合っていたんだけれども、あるとき横田早紀江さんは、有田さん、お父さんが失敗しちゃってね、一週間に一回ファクスを出す中で、有田さんと会うというのを書いてしまったと。いや、まあそういうこともあるでしょう、それで終わったんだけれども。
それ以降、横田滋さん、早紀江さんは、もう吹っ飛ばしますけれども、二〇一四年の三月十日から四泊五日でモンゴルのウランバートルに行って、横田めぐみさんの娘さんのウンギョンさんとその家族にお会いになった。感動の出会いでした。これは、安倍総理の決断と、特に外務省のすごい努力で実現をした、安倍政権の成果でした。
モンゴルから帰ってきた日に、早紀江さんから私に電話がありました。本当にうれしかった、声が弾んでいた。それまでとは違う、今のような雰囲気とは違う早紀江さん、滋さんだった。私は、じゃ、細かいことを聞かせてくださいよということで、四月の五日に、あるホテルの部屋で話をお聞きしました。話を聞いて九日後に、もう一度話を聞きました。
それからしばらくたって、私のスマートフォンに、朝七時四十八分に早紀江さんから電話が入っていた。何事かと思った、そんな時間に電話をかけてくる人ではありませんから。九時過ぎに私が電話をしたら、早紀江さんは、有田さん、盗聴されていましたよと、驚かれた。
何かというと、詳しく調べましたけれども、四月四日に私たちがホテルの密室で話し合っていたことが、九日後に、私たちが会っていたその時間帯、午後三時三十八分に、横田滋さん、早紀江さんの御自宅の留守番電話に、九日前に私たちが密室で話していた言葉が吹き込まれていた。びっくりされたんです、早紀江さんも滋さんも。
私はそれを証拠保全しておりますけれども、誰がやったのか分かりません。団体なのか組織なのか民間なのか、いまだ分からない。だけれども、一般的に盗聴するということは、誰が誰と話していて、何をやろうとしているのかというのを確認することなんだけれども、そうじゃない。滋さん、早紀江さん、有田と会っていることを私たちは、あるいは私なのか知らないけれども、分かっていますよという脅しなんですよ。そういうことが何度もあった、実は。
だから、そういうことが、実際にどこが何をやったかは分からないけれども、不安だから、プライバシーの侵害があるかもしれないから、長妻さんは、そこのところをちゃんとチェックする必要があるんじゃないかということを内閣委員会でもずっと指摘をされてきたわけですよね。だから、そういうおそれがないような、国会のチェック機能であるとか、あるいは現場の人たちに無理強いをしないような体制とか、そういうものをつくっていかなければいけないというのが今度の法案の一つの大事なポイントだというふうに思うんです。
これは事実ですから、そのことだけをお伝えをしておきたいと思いますけれども、今日は法務委員会から来ておりますので、法務大臣あるいは公安調査庁にもお聞きをしたいんですけれども。
公安調査庁、工作・基礎調査事項という機密文書、お分かりですよね。
21岡岡素彦内閣官房内閣審議官
お答えします。
国内部門に限らない話でございますけれども、各部門の業務がどのような担当割に基づいて行われているかということについては、組織の内部構成ということで従前よりお答えを差し控えているところでございますけれども、情報収集の在り方という点で申し上げますと、内調の職員は、平素より、我が国を含む各国の政策やその他、国内外の諸情勢に関する見方や論点などにつきまして、様々な有識者の方々からお話を伺う機会を設けております。
そこにはマスコミ関係者も含まれるところですけれども、特定の属性の方ばかりにお話を伺うわけではなくて、その時々の情報のテーマに適した様々…
この発言のページ
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有田芳生(中道)
例えば、内調の職員でマスコミの担当をされる方は、今でもそうですけれども、新聞社、通信社あるいはテレビ局の政治担当、特にデスク、キャップ、つまり情報集約できる人たちに、例えば赤坂で接待をして話を聞く。その中で、官庁のある局長が何か不満を持っているのではないか、あるいはオフレコ情報、あるいは総理に対して不満を持っているんじゃないか、そういうものをいろいろ定期的に聞いて、自分で報告書をまとめて官邸に上げて、総理、そして官房長官にも報告が行くという仕組みなんですよ。そういうお仕事をされている。
そこで、次にお聞きをしたいんですけれども、四月十日の内閣委員会で長…
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木原稔(自民)内閣官房長官
その御質問に対しては、今も変わっておりませんというふうに答弁をしたと記憶しております。
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- (上の発言)
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有田芳生(中道)
正確に言いますと、これはお答えは差し控えないといけないというふうに思っておりますという御答弁なんですよ。
私は、二〇一〇年に参議院議員になりまして、そのときから様々な問題に取り組んでまいりましたけれども、当時から、当時民主党政権なんですけれども、内調の職員が定期的に私の部屋にいらっしゃいました。そして、公刊情報、新聞とか週刊誌のコピーを毎週持ってきてくださったので、とても助かった、ありがたかった。毎週いらっしゃっていた。神奈川県警からの出向の方でした。特に秘書さんとは仲よくなって、時には食事をされるようなことだった。
それが、民主党政権が二〇一二年の十二月に安倍政権に替わりました。政権が替わったのに、それからも私の部屋に、人はどんどんどんどん、人事異動で内調の方は替わったんだけれども、私の部屋には神奈川県警の出向の方がずっと来ていらっしゃったんです。
そういう状況の下で、私がお聞きをしたいのは、実はこれからは自分の体験を語らなければいけません。
内調の職員の方々が神奈川県警の出向だっただけではなくて、私によく情報を聞きに来てくれた防衛省の情報担当の方も神奈川県警の出向者でした。
実は私は、二〇一二年の二月から二〇一六年の夏まで、横田滋さん、早紀江さんと三人だけのミッションをお互いに確認して、誰にも分からないように、定期的に四年近くお会いしておりました。
横田夫妻というのは、当時は、恐らく今もそうでしょうけれども、一週間に誰にお会いするのか、メディアの人あるいはいろいろな団体の人に会う、それをA4判の紙に書いて、今週はこの人に会うんですということを神奈川県警にファクスで毎週送っていたんです。恐らく、早紀江さんは今もそうでしょう。
当時、滋さん、早紀江さんと私は、三人だけで、共通の目的があったので定期的に話し合っていたんだけれども、あるとき横田早紀江さんは、有田さん、お父さんが失敗しちゃってね、一週間に一回ファクスを出す中で、有田さんと会うというのを書いてしまったと。いや、まあそういうこともあるでしょう、それで終わったんだけれども。
それ以降、横田滋さん、早紀江さんは、もう吹っ飛ばしますけれども、二〇一四年の三月十日から四泊五日でモンゴルのウランバートルに行って、横田めぐみさんの娘さんのウンギョンさんとその家族にお会いになった。感動の出会いでした。これは、安倍総理の決断と、特に外務省のすごい努力で実現をした、安倍政権の成果でした。
モンゴルから帰ってきた日に、早紀江さんから私に電話がありました。本当にうれしかった、声が弾んでいた。それまでとは違う、今のような雰囲気とは違う早紀江さん、滋さんだった。私は、じゃ、細かいことを聞かせてくださいよということで、四月の五日に、あるホテルの部屋で話をお聞きしました。話を聞いて九日後に、もう一度話を聞きました。
それからしばらくたって、私のスマートフォンに、朝七時四十八分に早紀江さんから電話が入っていた。何事かと思った、そんな時間に電話をかけてくる人ではありませんから。九時過ぎに私が電話をしたら、早紀江さんは、有田さん、盗聴されていましたよと、驚かれた。
何かというと、詳しく調べましたけれども、四月四日に私たちがホテルの密室で話し合っていたことが、九日後に、私たちが会っていたその時間帯、午後三時三十八分に、横田滋さん、早紀江さんの御自宅の留守番電話に、九日前に私たちが密室で話していた言葉が吹き込まれていた。びっくりされたんです、早紀江さんも滋さんも。
私はそれを証拠保全しておりますけれども、誰がやったのか分かりません。団体なのか組織なのか民間なのか、いまだ分からない。だけれども、一般的に盗聴するということは、誰が誰と話していて、何をやろうとしているのかというのを確認することなんだけれども、そうじゃない。滋さん、早紀江さん、有田と会っていることを私たちは、あるいは私なのか知らないけれども、分かっていますよという脅しなんですよ。そういうことが何度もあった、実は。
だから、そういうことが、実際にどこが何をやったかは分からないけれども、不安だから、プライバシーの侵害があるかもしれないから、長妻さんは、そこのところをちゃんとチェックする必要があるんじゃないかということを内閣委員会でもずっと指摘をされてきたわけですよね。だから、そういうおそれがないような、国会のチェック機能であるとか、あるいは現場の人たちに無理強いをしないような体制とか、そういうものをつくっていかなければいけないというのが今度の法案の一つの大事なポイントだというふうに思うんです。
これは事実ですから、そのことだけをお伝えをしておきたいと思いますけれども、今日は法務委員会から来ておりますので、法務大臣あるいは公安調査庁にもお聞きをしたいんですけれども。
公安調査庁、工作・基礎調査事項という機密文書、お分かりですよね。
25霜霜田仁公安調査庁次長
そのような文書が存在して、一般の著書の中に掲載されているという事実については承知しております。
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26
有田芳生(中道)
私は持っているんですけれども、内調の内部文書ですよ。認められませんか。
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27岡岡素彦内閣官房内閣審議官
私の知る限りは、内調にそのような文書はございません。
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