有田芳生 (中道改革連合)

2026年6月24日・第221回国会 衆議院 法務委員会 第22号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 34 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 168 発言)

おはようございます。有田芳生です。

先日、我々の党の部門会議が開かれまして、そのときに、再審法に関わって、近く冤罪、無罪が確定するだろうと言われている日野町事件の、一貫して私はやっていないと言い続けながら無期懲役の判決が下り、残念ながら御病気でお亡くなりになった阪原弘さんの息子さんの弘次さんに来ていただきました。

同時に、片山隼君事件というのは、一九九七年十一月ですけれども、東京世田谷で、当時八歳の片山隼君がダンプカーにはねられて亡くなりました。そのお父様である片山徒有さんも出席していただきまして、片山さんは、息子さんがダンプカーにひかれて亡くなった、そのときから、検察に対する疑問も含めて、非常に様々な努力、運動をなさっていて、今は犯罪被害者支援、そして司法制度改革のために今も努力をされている。そのために我々の部会に来ていただいたんです。

そのとき、私は、この間の再審法の問題も含めてですけれども、刑事局長であったり、あるいはかつておつき合いのあった検察の幹部の方々は、個人的につき合っていると物すごくいい人たちばかりなのに、なぜ冤罪被害が起こるんだろうか。あるいは、この間、質問時間がなかったので聞けなかったんですけれども、取調べで録音、録画がなされているにもかかわらず、検察が分からないのかとどなるような検事さんが大阪にもいらっしゃって、今も問題になっていますけれども、一人一人の、佐藤刑事局長もそうなんだけれども、本当に立派ないい方々が、いざ取調べになるとそういうことになってしまうというのは、これは個人の特性なんだろうか、体質なんだろうか、あるいは何かシステムに問題があるんじゃないかなどというふうにいまだ思っているところがあるんです。

今日は危険運転致死傷罪及び酒酔い運転の改正案についての質問なので、先日私たちの部会に来ていただいた片山徒有さんの息子さんの事故のケースについて最初にお聞きをして、当時の検察の対応についても、何でこんなことが起きたんだというような疑問があるものですから、率直に御意見を伺いたいというふうに思います。

片山隼君、当時八歳、小学校二年生でした。一九九七年の十一月に、学校に行く途中でダンプカーの運転手にひかれてお亡くなりになりました。運転手は、現行犯逮捕で、その場から逃げるんだけれども、片山隼君をひいたときに、対向車からも事故が起きたぞというシグナルがあったり、あるいはバイクに乗ってダンプカーの運転手を追いかけて、窓をたたいて、事故を起こしたぞというようなことを言ったんだけれども、本人は、ひいたことは覚えているんだけれども逃げたのは気づかなかったと、何とも矛盾したような証言を当時したんですけれども、結果的に、業務上過失致死容疑で運転手は逮捕されました。

刑事局長に伺いたいのは、その事件が起きて、逮捕をされて、十日後に釈放されたんですよ。分からないのは、刑事局長も当時その場にいたわけでもないし、関わったわけでもないわけですけれども、お聞きをしたいのは、普通、示談とかそういうことをするために、検察の処分というのは大抵二、三か月ぐらいはかかるんじゃないかと私は理解しているんですけれども、当時、事故を起こして、死亡事故を起こした運転手は、十日後に釈放されて、何と、その十日後に検察は不起訴にしたんですよ。

当時ですけれども、一九九七年、だから、不処分になったのは九八年なんですけれども、こういうことは一般的にあり得たことなんでしょうか。個別の件はお答えできないというような答弁になると思うんですけれども、こういう、十日後に不処分なんということは、実際あったんだけれども、ちょっと理解できないんですけれども、どう思われますか。

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