袴田ひで子

2026年6月9日・第221回国会 衆議院 法務委員会 第18号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 19 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 69 発言)

巌の体調の変化というのは、未決のときには大変元気でございまして、私たち、兄二人と私と三人で面会に行きましても、事件のことを次から次へと申しまして、大変元気でおりました。私たちは、ただうんうんうんと相づちを打つだけで三十分たってしまいます。それで、外へ出て、ああ、巌が元気でよかったねと言って、私たちの方が励まされていたんです、その当時は。

それが、死刑が確定して、死刑囚だけの房というかそういうところへ移りましたら、大変おとなしくなりました。それで、ひどいところにいると巌が言うものですから、兄が、そのひどいところにどのぐらいいるんだと言ったら、一月ぐらいいなきゃいかぬと思うと言っていたんです。

次に面会に私が行きましたら、さっきも申しましたように死刑があったということを言いまして、それ以後、電気を出すやつがいると言うんです。その辺から体調というか神経が参ってしまって、まあ、電気を出す人間なんていないですよ、それだけれども、本人は、かゆみの電波を出すとか痛みの電波を出すとかと言うんです。私は、最初、電気風呂があるからいいよと言っていたんです、のんきなもので。ところが、本人は真剣に考えておりまして、それからしばらくして、電気を出すやつがいて、何とかの看守が一生懸命今でも出しているとかと面会所で言うんですよ。

それからだんだん様子がおかしくなりまして、面会拒否が始まりました。面会拒否にも、ある方と一緒に面会に行きましたら、その方が、巌が元気なものですから、弁護士が何にもやっていないということを言ったんです。弁護士が頼りで頑張っている人間にそんなことを言うんじゃないと後で叱っておきましたが、それがきっかけかどうか分かりませんけれども、ともかく面会拒否が始まりました。

それで、一月後に私が一人で面会に行きましたら、本当に弁護士は何もやっていないのかと改めて念を押されました。だから、弁護士さんと仲が悪いからああいうことを言うけれども、弁護士さんは一生懸命やってくれているよということを言っていたんです。その当時、赤堀事件をちょうど静岡裁判所でやっておりましたので、赤堀さんの事件が済めばあんたの番だから、しばらく我慢して頑張りなと言って、うそも方便で本人にそう言っていたんです。それでも再審開始にならないということで、だんだんおかしくなりまして、面会拒否がずっと続きました。三年半続きました。

三年半、私は毎月面会に行きました。三年半たって、面会もできない、生きているのか死んでいるのか分からないんですよ、私には。それで、保坂先生にお願いして、無理にでも面会していたんです。そういうことをちょくちょくやっておりました。

だけれども、やはり、あんな中にいれば、そうおかしくなって当たり前だと思っております、私は。まともでいようという方が無理なんです。そういうことで、それ以来、妄想の世界に入っております。

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