お答えいたします。
戦前の刑事訴訟法というのは、現行の刑事訴訟法ではなくて、大正十一年に成立したいわゆる旧刑事訴訟法のことだと思われますので、これについて急ぎちょっと確認いたしました。
まず、旧刑訴法というのは、いわゆるGHQがやってきて、昔、職権主義といいまして、一般の通常審におきましても、例えば、検察官がいて、その証拠を全部予審判事が見て、予審判事が少しずつスクリーニングしていく、それで、有罪になる人が最後に裁判所の下で残るといったような、すごくざっくり言いますと、不正確かもしれませんが、そのような刑事裁判が戦前は行われていたということでございます。それが、GHQが来たことに伴いまして、済みません、撤回いたします。戦後、アメリカ法のいわゆる当事者主義でありまして、伝聞法則、厳格な証拠のルールを作ったり、裁判所に予断を持たせないで起訴状一本主義で裁判を進めていくというようなルールが通常審に入れられました。
したがいまして、先ほどの戦前の場合というのは職権主義のときの話なんですけれども、職権主義のときには、私の理解では、基本は全て警察から来た証拠が検察官のところにあり、検察官が捜査した証拠も全部そこにあり、証拠のルールなどはありませんので、全ての書類を裁判所が見て判断をするというルールになっておりまして、そういう前提の下に、一件記録がどこまでかというのは日本とかなり、今のルールとかなり違いますけれども、その前提であれば、それに、被告人が公判に、被告事件が付された後、裁判所において訴訟に関する書類については閲覧、謄写されることとされていたようでございますので、証拠物についても閲覧できるようでございましたので、そのような意味では、弁護人も全ての記録を見られたということのようでございます。
それから、ドイツと台湾においても、少なくともドイツは、日本が戦前に学んだ大陸法系の職権主義の国でありまして、先ほど言ったような裁判の形態があるわけですけれども、恐らくそのような形で、裁判所に存する書面とか裁判所にそのまま警察から全部引き受けたものが全て分かるという前提でありますので、これについては、一定の事由を除いて、閲覧が制限されている場合を除いてこれを弁護人は見ることができるように理解していますが、その前提が、そもそも記録とは何ぞや、一件記録とは何ぞやというところが全て分かっているわけではありませんので、一概に日本と比べるのは困難であるとは考えているところでございます。
48
有田芳生(中道)
そのとおりだということを言えないのは、例えば袴田さんの事件、確定審では五点の衣類が問題になりました。ところが、確定審では、その五点の衣類のカラー写真なんというのは全く検証されていないわけじゃないですか。初めはパジャマで犯行を行ったというのが、その後変わって、五点の衣類になったわけでしょう。
しかも、問題なのは、袴田巌さんがはいていたズボン。それを、確定審の中では、控訴審では、袴田さん、三回ズボンをはいてみろと言われて、三回はいたけれども、はけなかったわけですよね、はけなかった。そのとき、証拠は提出されていないわけだから、袴田さんが太ったんだとか、あるい…
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49佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
いわゆる袴田事件につきましては、最高検におきましても、検証報告書を作成して公表するなどしまして公にしているところでございます。
その上で、当時の再審請求審というものの証拠開示というのは、検察においても、あるいは裁判所においてもその運用に消極的であったというのは、今の視点から見ると否めないというふうに思っております。
そういう観点で、先ほど答弁しましたように、平成十六年に通常審におきまして証拠開示のルールができまして、その運用が定着いたしまして、それを再審請求審の中でも、裁判所、検察官、弁護人が、そのような運用を前提に再審請求審に…
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50
有田芳生(中道)
刑事局長にここの段階で確認しておきたいんですけれども、これは、質問通告をした後、今朝早くにお伝えしたので、無理なら無理で仕方がないんですけれども。
戦前の日本では、被告人あるいは弁護士に全ての証拠が開示されていたというのは事実ですか。もしそれが事実ならば、再審について、完全に戦前は全ての証拠にアクセスできた。
もう一点。今の制度として、全ての証拠を開示するというのはドイツと台湾では行われているというのは、それは正しいという理解でよろしいですか。
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- (上の発言)
51佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
戦前の刑事訴訟法というのは、現行の刑事訴訟法ではなくて、大正十一年に成立したいわゆる旧刑事訴訟法のことだと思われますので、これについて急ぎちょっと確認いたしました。
まず、旧刑訴法というのは、いわゆるGHQがやってきて、昔、職権主義といいまして、一般の通常審におきましても、例えば、検察官がいて、その証拠を全部予審判事が見て、予審判事が少しずつスクリーニングしていく、それで、有罪になる人が最後に裁判所の下で残るといったような、すごくざっくり言いますと、不正確かもしれませんが、そのような刑事裁判が戦前は行われていたということでございます。それが、GHQが来たことに伴いまして、済みません、撤回いたします。戦後、アメリカ法のいわゆる当事者主義でありまして、伝聞法則、厳格な証拠のルールを作ったり、裁判所に予断を持たせないで起訴状一本主義で裁判を進めていくというようなルールが通常審に入れられました。
したがいまして、先ほどの戦前の場合というのは職権主義のときの話なんですけれども、職権主義のときには、私の理解では、基本は全て警察から来た証拠が検察官のところにあり、検察官が捜査した証拠も全部そこにあり、証拠のルールなどはありませんので、全ての書類を裁判所が見て判断をするというルールになっておりまして、そういう前提の下に、一件記録がどこまでかというのは日本とかなり、今のルールとかなり違いますけれども、その前提であれば、それに、被告人が公判に、被告事件が付された後、裁判所において訴訟に関する書類については閲覧、謄写されることとされていたようでございますので、証拠物についても閲覧できるようでございましたので、そのような意味では、弁護人も全ての記録を見られたということのようでございます。
それから、ドイツと台湾においても、少なくともドイツは、日本が戦前に学んだ大陸法系の職権主義の国でありまして、先ほど言ったような裁判の形態があるわけですけれども、恐らくそのような形で、裁判所に存する書面とか裁判所にそのまま警察から全部引き受けたものが全て分かるという前提でありますので、これについては、一定の事由を除いて、閲覧が制限されている場合を除いてこれを弁護人は見ることができるように理解していますが、その前提が、そもそも記録とは何ぞや、一件記録とは何ぞやというところが全て分かっているわけではありませんので、一概に日本と比べるのは困難であるとは考えているところでございます。
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有田芳生(中道)
時間がなくなってきましたので、もう一点確認をさせてください。
一九八六年、再審無罪事件検討結果報告書というものが作られておりますけれども、何の目的で、どういう内容で作られたんでしょうか。
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53佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
検察当局においては、無罪判決等があった場合には、当該事件における捜査、公判活動の問題点を検討しまして、必要に応じて検察官の間で問題点を共有して、今後の捜査、公判の教訓としているというものでございますけれども、御指摘の資料もそのようなものでございまして、検察当局の内部資料でございますので、法務当局としてその詳細についてお答えすることは差し控えさせていただきます。
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有田芳生(中道)
公表していない報告書だということですけれども、しかし、公表していなくても、どういう動機でこういう報告書を作られたんでしょうか。
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