志田陽子武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐

2026年6月25日・第221回国会 衆議院 内閣委員会 第23号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 8 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 88 発言)

ただいま御紹介をいただきました武蔵野美術大学の志田陽子と申します。専門は、憲法学及び芸術に関連する各種の法律を研究対象及び教育対象としております。

本日は、発言の機会をいただきまして、大変感謝しております。

国旗の損壊等の処罰に関する法律案について、憲法に照らして考察するということをいたしました。そして、結論から申し上げますと、現在の案では、将来、憲法訴訟になったときには違憲と判断される可能性が非常に高いと考えております。以下、その理由を述べます。

まず、処罰対象が非常に広い、広範であるということです。

現在の案は、処罰対象が、公的機関が公式に掲揚している国旗の損壊には限定されておりません。多くの発言者が御指摘になったとおり、自己所有の国旗や国旗のように見える図形が描かれたものを人前で損壊することが広く処罰対象となります。そのため、必然的に各種の憲法上の権利を制約することになります。

また、次の、お手元のレジュメで、親告罪の限定がないと書きましたが、ここはちょっと修正をさせていただきます、現在の案では親告罪の限定をしたとしても意味を成さないということになります。

なぜかといいますと、広く全員が自分の感情を根拠として当事者となり得る規定になっているからです。不快感、嫌悪感というものは、著しくという限定を言葉の上でかけたとしても、これは当人の主観的な問題ですので、その主観的理由で警察への通報が可能となります。警察への通報がありますと、最終的には裁判で無罪になったとしても、それまでの間、警察の取調べ対象となるということで、表現者に対しては大変大きな負担、そして、その間、表現活動が不可能になるということが起きます。そのために、この問題は、憲法上の権利の制約の問題が生じると考えざるを得なくなります。以下、制約を受ける権利に即して検討してまいります。

まず、表現の自由、憲法二十一条についてですけれども、憲法二十一条は、一切の表現の自由を広く保障すると規定しています。様々な表現、特に人に不快感を与える表現があるとしても、それは民主主義及び多様性を重んじる社会の当然の出来事として法による介入は行わない、規制はしないということがまず第一の原則となるということが言えます。

その中で、芸術表現は除外とされていますが、これは実務、運用面での不安が拭えません。なぜなら、日本では、議員の方々や自治体首長などの公人が、これは芸術ではない、人を不快にさせるような表現は芸術ではないといった発言を行い、大変強い社会的影響力を発揮してしまう場面が多々見られるからです。そのため、社会問題に切り込もうとする現代芸術の分野が多く萎縮させられてきているという実態がございます。この傾向が、今回の法律が制定されますと、強まるおそれが高い。

そして、政治的表現は除外されるという話になってきていますけれども、現行の案では、警察がこのことを確認するために、政治的目的と言えばお目こぼしをしてあげるよというようなことが、取調べ中、必ず出てきまして、本人の政治信条に警察が踏み込まざるを得ないということがあります。表現がまず広く取調べの対象となり得る。その後に、憲法十九条の思想、良心の自由に警察が踏み込むという、十九条問題が生じてくるということに運用上なってしまうという問題があります。

そして、個別に、漫画表現は除外といったような、様々な除外が検討されていますけれども、これによって定義が不明確になってきている。となりますと、後で述べますように、一般庶民にとっては、よく分からないのでやめておこうという萎縮効果を強く発揮する結果になってくると考えられます。

そして、表現の自由というのは、切実なニーズを抱えた人々の表現に道を開けておくことに最も意義があると考えられています。特に、生活が立ち行かなくなるような不安を感じている国民や住民がいるときに、これは自己責任ではなく政策の問題として訴えたいというとき、刺さる表現、とがった表現をしたいと思うのは切実な状況を抱えた人にはあり得ることで、それが人に不快感を与える可能性はあります。こうしたときには、少数者が自分の状況やニーズを発信することを優先する、自由に道を開いておくというのが表現の自由保障の重要な意義であると考えます。

また、そうした声を知る権利というのも国民にはあります。処罰対象となるということで、これらの表現が不可能となったり萎縮したりした場合には、そうした表現を見て、そう思っていたのは自分だけではなかったのかと感じるような国民の知る権利も塞がれるということが考えられます。

また、不快感が生じないようにということを目的、保護法益として規制を行うことは、それ自体で大きな問題をはらんでいます。

先ほどほかの参考人からもお話があったように、人格権侵害という大きなカテゴリーがありまして、ヘイトスピーチもそこに入るかと思います。名誉毀損、プライバシー侵害、侮辱、肖像権侵害、そしてヘイトスピーチなど、人格権を侵害するような表現は規制を受けてもやむを得ないと考えられていますが、これは裁判理論が大変精緻に組み上げられてきて理論化されてきたものがそのように認められているのであって、これと不快感という漠然とした感情とは一線を画すべきものです。

ですので、ここで不快感、嫌悪感というものを構成要件に含めている現在の案は、憲法違反、憲法二十一条を不当に狭めるものであるという判断が出てくる可能性が高いと考えております。

また、愛国心や国旗への敬愛を感じている国民の心というものは、それを表現する、憲法二十一条、表現の自由は当然に現在でも保障されていますし、また、思想、良心の自由によってもそれは保護されております。

そして、思想、良心の自由につきましては、既に江藤参考人から指摘があったとおりです。警察に通報があり、そしてそのことで萎縮が生じるということ、これに加えて、警察からの取調べの中で、その人の思想、信条への踏み込みが起こるということを指摘したいと思います。

また、こうしたことは、法の下の平等、十四条にも反する可能性が濃厚です。憲法十四条では、信条による差別も禁止しているからです。

そして、萎縮効果については、先ほど江藤参考人が述べたことに、私も憲法学の立場から賛同の意を表明したいと思っております。

罪刑法定主義と憲法三十一条の明確性の原則についても、同じでございます。

以上になります。ありがとうございました。(拍手)

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