西川将人 (立憲民主党)

2025年12月8日・第219回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 116 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 192 発言)

おはようございます。立憲民主党の西川将人です。この度は質疑の機会をいただき、どうもありがとうございます。

黄川田大臣、この度は大臣就任おめでとうございます。

また、今日は、茂木大臣を始め英利政務官、そして政府参考人の皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

私の出身地は北海道旭川市でありまして、現在も旭川市内に在住しております。幼少期より北方領土問題というのは大変身近な問題として認識をしてきておりました。幼少期、まだ当時は戦後三十年ほどしかたっておりませんでしたから、北方領土返還運動の熱量というのは今とは全く違っていたのかなというような実感もしております。「返せ!北方領土」というキーワードは、道内の至る所に立て看板が立っていたりとか、テレビコマーシャルで流れていたり、町の中の街頭放送なんかでもよく流れていて、私もいろいろな場所で目にしたり耳にする場面が多かったんですけれども、平成、令和と時代が変わる中で徐々にそのような機会も少なくなってきているのではないかなというふうに感じております。

北方領土問題は決して風化させてはならないという思いから、今日は北方領土問題一本に絞って質疑をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

私が初めて北方四島を直接見たのは、今から三十八年前、私が大学一年生の頃でした。根室市の納沙布岬に望遠鏡が設置されておりまして、その望遠鏡を使って歯舞諸島を見るとロシアの建物がはっきりと見えて、本当にその近さに驚いたのを今でも鮮明に記憶しております。沖合には海上保安庁の船舶が停泊していて、ロシアの国境警備局の船舶も同じく停泊して、にらみ合うようにしてそこに停泊しているその光景が非常に焼き付いております。小さな漁船がたくさん出ていまして、その漁船で仕事をしている人たちの様子を見ると、海上保安庁に守られながら漁をしているというような印象を当時は受けました。日本の漁民がロシアに拿捕されるというニュースを当時からよく聞いていたものですから、そういった光景を見ると、緊迫した根室沖合の一端というのを直接かいま見た実感をしております。

そこで、北方対策担当大臣にお聞きしますけれども、大臣はお生まれが東京、現在の選挙区は埼玉でいらっしゃいますので、北海道とそれほどたくさんの御縁があったかどうか分かりませんけれども、令和元年に北方四島事業に参加されて北方領土の地を踏まれていたというふうに先般も述べられておりましたが、その際に現地で交流された一人一人のロシアの国民の皆さんの印象、どういった印象を持たれたかということをお聞きしたいと思います。

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