今外務大臣にお答えいただいたんですが、実態としてそうなっているのかなという疑問が残ります。日米地位協定、なかなか難しいんですが、ただ、本文と合意事項が真逆のところがあります。特に第三条、第五条、第十七条、その辺をやはり問題だなと思っているものですから、是非、地位協定の問題、合意議事録について更にこれから議論を深めていきたいと思っております。
時間が来ましたので、これで終わります。ありがとうございました。
2025年12月8日・第219回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 114 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 192 発言)
今外務大臣にお答えいただいたんですが、実態としてそうなっているのかなという疑問が残ります。日米地位協定、なかなか難しいんですが、ただ、本文と合意事項が真逆のところがあります。特に第三条、第五条、第十七条、その辺をやはり問題だなと思っているものですから、是非、地位協定の問題、合意議事録について更にこれから議論を深めていきたいと思っております。
時間が来ましたので、これで終わります。ありがとうございました。
お答えいたします。 ただいまお尋ねの日米地位協定の合意議事録は、同協定の実施細目等を定めるものとして締結された国際約束であります。日米地位協定はこの合意議事録などを含んだ大きな法的枠組みであると理解しております。 御指摘の点も含めて日米地位協定に関して様々な意見があることは十分承知しているところでございます。 政府は、これまで、手当てすべき事項や事案の性格に応じて効果的かつ機敏に対応できるように、最も適切な取組を通じて一つ一つ具体的な問題に対応してきたところでございます。このような取組を積み上げることにより、日米地位協定の在り方を不断に検討していき…
不断に検討とおっしゃっているんですが、余り検討されていないような気がしてならないんですね。内容が改善されていないということで、非常に私は納得ができないんですが。 そこで、日米合同委員会について三点ほど提案をしていきたいなと思っております。 まず一点目ですが、合同委員会組織図に、日本側代表は外務省北米局長、そして米側代表は在日米軍ナンバーツーの副司令官となっております。文民統制に照らして日米双方とも文官にすべきではないか。 二点目は、日米地位協定絡みの問題が起きた場合の窓口のほとんどが米軍人によるものですから、沖縄防衛局又は防衛省を経由したものとなっ…
今の御質問を聞きますと三点というより二点ということだと思うんですけれども、基本的に外務省と防衛省の間の連携がしっかり取れているかということであります。先ほど委員の方からも御指摘がありましたように、米軍の取扱いに関します事務を掌握する外務省の北米局長が日本側の代表を務めておりますけれども、代表代理としては外務省の北米局の参事官そして防衛省の地方協力局次長等も指名されておりまして、外務省、防衛省を始め関係省庁の連携はしっかり取れていると考えているところであります。 また、日米合同委員会の合意事項や議事録につきましては、日米間の忌憚のない意見交換や協議を確保…
今外務大臣にお答えいただいたんですが、実態としてそうなっているのかなという疑問が残ります。日米地位協定、なかなか難しいんですが、ただ、本文と合意事項が真逆のところがあります。特に第三条、第五条、第十七条、その辺をやはり問題だなと思っているものですから、是非、地位協定の問題、合意議事録について更にこれから議論を深めていきたいと思っております。
時間が来ましたので、これで終わります。ありがとうございました。
次に、西川将人さん。
おはようございます。立憲民主党の西川将人です。この度は質疑の機会をいただき、どうもありがとうございます。 黄川田大臣、この度は大臣就任おめでとうございます。 また、今日は、茂木大臣を始め英利政務官、そして政府参考人の皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。 私の出身地は北海道旭川市でありまして、現在も旭川市内に在住しております。幼少期より北方領土問題というのは大変身近な問題として認識をしてきておりました。幼少期、まだ当時は戦後三十年ほどしかたっておりませんでしたから、北方領土返還運動の熱量というのは今とは全く違っていたのかなというような実感もしてお…
私も委員と同じように大学生時代から北方領土問題には関心を持ちまして、私も大学時代に初めて根室市の納沙布岬に参りました。当時はソ連、ロシアの端境期にありましたが、黒い警備艇が通っているのを見て、こんなに近いところなのかというのも、委員と同じように驚いたのを鮮明に今でも覚えております。それ以来、北海道は結構行っておりまして、納沙布岬も今回で五度目の訪問ということになりました。 委員御指摘のとおり、それに遡ること令和元年九月に北方四島交流事業に参加して、択捉島をそのときは私は訪問いたしました。それが北方四島交流事業の最後の事業になってしまうことになるとはまさ…