小泉悠東京大学先端科学技術研究センター准教授

2025年2月19日・第217回国会 参議院 外交・安全保障に関する調査会 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 68 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 90 発言)

ありがとうございます。

まず、先ほどの広瀬先生への御質問からつながってくる答え方になるかなというふうに思うんですけど、戦争があってはならないって本当にそのとおりですし、今ウクライナでも本当に一家全滅するところとか出始めているわけですよね。だから、こんなことは起こしてはいけないし、なるべく早く終わらせなければいけないというのは本当にそのとおりだと思っているんですよ。

うちの奥さんのところの親戚もウクライナ人いっぱいいて、二年前のバフムト攻防戦のときに、あのままロシア軍の攻勢が止まらなかった場合というのは、恐らく次にその町が戦場になったはずなんですよね。だから、本当に私自身もそのことは強く思ってはいます。思ってはいて、じゃ、そこで命を守るために今すぐ抵抗をやめればそれで平和になるではないかというのは一種のリアリズムでもあるのかもしれないんだけれども、じゃ、そこでその抵抗をやめて、例えば自爆ドローンが突っ込んできて全滅する一家がいなくなるということと、その代わりにブチャのようにして虐殺される一家が出るということをどうてんびんに掛けるか。

あるいは、さっきICCの話が出ましたけれども、ウクライナ側は、最初、二十万人以上の子供の連れ去りを申し立てていて、うち二万件はICCは認定したんですよね。それから、おととしの十月からは、ロシアが占領地域で徴兵をやっています。これもたしかジュネーブ第四条約違反ですかね、ですよね。だから、この停戦というか、そのロシアに対してただ降伏すればすっかり平和な日常が戻ってくるわけではないというところが難しいところだと思うんですよ。あるいは、じゃ、かつて日本が侵略していった中国の人民は、ただそこで日本軍に降伏していればよかったのかという問いにもつながってきますよね。

私は実は学部教育のバックグラウンドが平和学で、軍事オタクのくせにほかにゼミがなかったから行ったんですけど、その平和学の考え方って構造的暴力って考え方しますよね。つまり、戦闘があるかどうかではなくて、構造的な暴力によって人間の本来のポテンシャルが抑圧されている状態を平和ではないというふうに定義すると。その場合で見た場合というのは、やっぱり、ロシアに単に降伏するという戦争の終わらせ方も、あくまでもロシアに対して軍事的抵抗を続けるというやり方も、どっちもやっぱり構造的暴力は振るわれているんですよ。だから、その中において比較考量するという多分考え方に私はなると思っています。

例えば、中国との戦争に備えることによって日本が戦場になる可能性があるというのはまあ本当にそうですし、やっぱり私も沖縄行ってみて、これは異常な状態なんだなと思うんですよね、軍事屋でありながらも。あんなに米軍基地だらけでおかしいだろうというふうにも思うと。その抑止力、信憑性のある抑止力と実際に戦闘を遂行する能力って外形的に区別を付けることができないんですよね。じゃ、その抑止ではない、中国と、あるいは北朝鮮との関係を外交的に抜本的に変える方法があるというんだったら、私はもう是非それに大賛成なわけですけれども、今、私はそれが何か魔法のようにそういう方法が我々の目の前に提示されているようには見えないですね。

極めて望ましくないことではあると思いながらも、私は、御指摘の二〇二二年の安保三文書の路線というのは、安全保障屋の観点からするとあの方向になっちゃうんですね。もちろん、安全保障屋の観点っていわゆる安全保障の負のスパイラルを必ず含むものなので、そこに例えば今回トランプという人が乱入してきて、うるせえ、全部終わらせるんだって言っていて、あれは政治の力だと思うんですよ。ですので、我々のようなダウナーになりがちな安全保障屋の方向性と、そこにその何か全然違うベクトルを持ち込む政治の力というのはうまく協調しながらやっていければいいんじゃないかというふうに思っています。

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