最高裁判決においては、氏名は、社会的に見れば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものであるというのが示されていますが、そのとおりだと思います。
藤田文武 (日本維新の会)
2025年6月4日・第217回国会 衆議院 法務委員会 第19号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 137 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 165 発言)
前後のやりとり
お答えいたします。 平成八年までの法制審議会による調査審議におきまして、いわゆるC案として、夫婦は同一の氏を称するものとする現行の制度を維持しつつ、婚姻によって氏を改めた夫婦の一方が婚姻前の氏を自己の呼称として使用することを法律上承認する案も検討されたと承知をしておりますが、委員御指摘のC案につきましては、呼称という概念を用いて事実上の夫婦別氏制を実現しようとするものであるが、制度上は、夫婦の一方が婚姻によって氏を改めることになるから、個人の氏に対する人格的利益を法律上保護するという夫婦別氏制の理念は、ここにおいては後退していること、氏とは異なる呼称と…
このようなことで、法制審では通称使用の法制化は否定をされました。 日本維新の会の法案では、通称使用の法制化ですので、この法制審の指摘をされた問題をクリアしているのかという点も問わなければならないというふうに思います。 まず、また前提ですけれども、名字と名前がセットの氏名について、一九八八年の最高裁の判決の中で、「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきである」ということが最高裁の判決…
時間も短いですので繰り返しませんけれども、私もまさに、その最高裁判決そのものだというふうに思っております。氏名とは、個人を同定する、英語で言えばアイデンティファイする機能を有し、それゆえ、社会的存在である人間にとって、自分が自分であると感じるアイデンティティーの根源の一つになっているというふうに考えております。
- (上の発言)
最高裁判決においては、氏名は、社会的に見れば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものであるというのが示されていますが、そのとおりだと思います。
同じでございます。
ありがとうございます。 日本維新の会の法案では通称使用を法制化することになりますが、婚姻前の名字を単独で使うと届出した場合には、戸籍は夫婦が同じ名字、それ以外は全て結婚する前の名字と名前、いわゆる通称で生活することができるというふうになっていると思います。 例えばということですけれども、法制審の案で例示をされた名前をおかりをいたしますと、私が結婚をして、結婚する前の名字、氏名、乙野梅子さんというのを通称使用するとする。維新さんの案では、パスポートも免許証も健康保険証もみんな、乙野梅子さんのみが書かれる。周りの皆さんも、私が乙野梅子さんだと認識をしてく…
お答え申し上げます。 お尋ねは、恐らく、維新案が実現するそのような状態において、社会的に個人を識別、特定する機能を果たしているのは専ら通称使用する旧氏であるところ、戸籍氏にはどんな意義が残るんですかという御趣旨だと思うんですが、確かに、この場合、社会的に個人を識別、特定する機能を果たしているのは通称使用する旧氏でありますけれども、そもそも、先ほど言及しました最高裁判決でも認められているように、氏には、そのような個人の呼称としての意義のほか、社会の構成要素である家族、先ほど言及を割愛しました、ごめんなさい、社会の構成要素である家族の呼称としての意義も存在…