大臣、ありがとうございます。
今御答弁いただいたとおり、一応形は整っているんですけれども、まだまだサービスが浸透していないわけですので、金融機関の従業員、職員にきちっと検証をするよう促したり、あるいは、こういうサービスを提供していますよというのを、ポスターを貼っていただいたりとかプレートを置いていただいたりとか、そういったきめ細かな対応を心からお願いしたいと思います。
三原大臣、どうもありがとうございました。どうぞ退室なさってください。ありがとうございます。
続きまして、二点目に、林官房長官にお尋ねしたいと思います。
所信表明の中で、「昭和百年」関連施策ということが述べられました。
この昭和百年、私は、今四十五歳、一九七九年、昭和五十四年十二月生まれであります。昨日、大臣のホームページを拝見いたしましたら、大臣は昭和三十六年、一九六一年一月のお生まれで、六十四歳というふうに伺っておりますが、今四十五歳の私、いろいろな過去の歴史的な出来事だとか事件とかを思い出しましたら、ぱっと思いついたのが、昭和六十年、一九八五年八月の日航機の墜落事故、御巣鷹の尾根の事故であります。おぼろげながら、連日悲惨なニュースが伝えられていたのを今でも記憶をしております。
ただ、昭和全体を歴史的に振り返りますと、やはり一番大きな出来事というのは、アジア太平洋戦争、第二次世界大戦だったのではないでしょうか。
政府もこの点はしっかりと御認識いただいているかと思いますが、今年の一月十七日に昭和百年に関連する省庁の連絡会議が開かれて、「昭和百年」関連施策の推進についての基本的な考え方を取りまとめておられます。
その中で、やはり、二度と戦争の惨禍を繰り返してはいけないという誓いの下、外交、通商貿易、文化交流など、多くの分野で平和を希求する道を歩み、揺れ動く世界情勢の中にあって、国際社会の安定と繁栄に貢献してきた、今後とも、平和を希求する歩みを続けるとともに、歴史の教訓を次の世代に継承していくことが必要であるというふうに明記をされております。もっともなことだと思います。
具体的には、戦争体験などの語り部の次世代への継承ですとか、戦争の悲惨さや労苦、これを振り返って学ぶことを施策の方向性として明記をされています。
私は、地元が富山県富山市の選出であります。一九四五年、昭和二十年の八月一日から二日にかけて富山大空襲がありまして、市街地の九九・五%が焼き尽くされて焦土化をし、被災者は十一万人、お亡くなりになった方が二千七百人ということで、当時の地方都市の人口比ではこの富山市の大空襲が一番大きな被害であったというふうに言われておりまして、毎年八月一日、富山市が主催をして、富山市民感謝と誓いの集いを開いておりまして、その式典の中では、富山大空襲の体験談を朗読をしたり、あるいは中学生が作文を発表して不戦を誓ったり、遺族や市民による献花が行われております。
そして、その八月一日、毎年、夜、富山市の中心部を流れる神通川で納涼花火大会というものが行われておりまして、現在も続いております。昭和二十二年からやっておりまして、これは、犠牲者の鎮魂と復興、平和への願いを込めて始まったものだとされております。
そして、昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞されました。大変すばらしいことだと思いますけれども、やはり、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを、証言したことを高く評価したものと受け止めております。
一方で、世界情勢というのは混沌とし、緊迫をしておりますが、やはりこういう時代だからこそ我が国が果たすべき役割は大きく、改めて戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ機会を設けることは重要だと思います。
昭和百年の意義づけでありますとか昭和の時代の位置づけというのは様々な見解がありますし、歴史観も様々だとは思うんですけれども、林官房長官にとって、この昭和百年で我が国にとって最も大きな出来事はどんなものだったとお考えでしょうか。先ほど私が申し上げた、戦争体験の語り部の次世代への継承ですとか、戦争の悲惨さ、これをしっかりと学んでいく、こういった点について官房長官の所見をお尋ねしたいと思います。
5尾尾崎有金融庁総合政策局審議官
お答えさせていただきます。
障害者差別解消法の改正による合理的な配慮の提供の義務づけを受けまして、金融庁におきましても、金融機関に求められる対応等を取りまとめた金融庁所管事業分野における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針に、代筆、代読等への円滑な対応を明記するなどの改正を行うとともに、各金融機関向けの監督指針においても法の趣旨を踏まえた改正を行い、こうした内容について、各金融業界団体との意見交換等を通じまして繰り返し金融機関に周知してきたところでございます。
加えて、平成二十二年以降、預金取扱金融機関等に対する障害者等に配慮した取組に関…
この発言のページ
6山山登志浩(立憲)
基本的に、指針だとかハンドブックとかがあって形は整っているけれども、まだ一部の金融機関、一部の支店などの取組に限定をされていると思うんです。三井住友銀行などのメガバンクよりも、やはり、地方の住民にとって身近なのは、ゆうちょ銀行でありますとか地方銀行、あるいは信用金庫です。そういったところに住民の方が出かけていって、様々な用を足しているわけであります。
そこで、三原大臣にお尋ねしたいと思いますが、所信表明で、障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に政府一丸となって取り組むと述べられました。
三原大臣がリーダーシップを発揮していただいて代読、代筆サ…
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三原じゅん子(自民)内閣府特命担当大臣(こども政策・少子化対策・若者活躍・男女共同参画・共生・共助)
障害のある方が生活の中で感じる社会的障壁を取り除くというのは社会の責務であるという考えの下、令和六年四月から、障害者差別解消法に基づき、合理的配慮の提供を民間事業者に義務づけており、金融機関も義務づけの対象となっています。
全国の事業者においても合理的配慮の提供等を徹底していただけるよう、事業所管ごとに担当大臣が対応指針を策定しており、現場で本法の趣旨が徹底されることが重要であると考えております。
先ほど金融庁から答弁がありましたとおり、金融業における合理的配慮の提供等の徹底に向け、金融庁においても御努力をいただいているものと承知しておりますが、生活…
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- (上の発言)
8山山登志浩(立憲)
大臣、ありがとうございます。
今御答弁いただいたとおり、一応形は整っているんですけれども、まだまだサービスが浸透していないわけですので、金融機関の従業員、職員にきちっと検証をするよう促したり、あるいは、こういうサービスを提供していますよというのを、ポスターを貼っていただいたりとかプレートを置いていただいたりとか、そういったきめ細かな対応を心からお願いしたいと思います。
三原大臣、どうもありがとうございました。どうぞ退室なさってください。ありがとうございます。
続きまして、二点目に、林官房長官にお尋ねしたいと思います。
所信表明の中で、「昭和百年」関連施策ということが述べられました。
この昭和百年、私は、今四十五歳、一九七九年、昭和五十四年十二月生まれであります。昨日、大臣のホームページを拝見いたしましたら、大臣は昭和三十六年、一九六一年一月のお生まれで、六十四歳というふうに伺っておりますが、今四十五歳の私、いろいろな過去の歴史的な出来事だとか事件とかを思い出しましたら、ぱっと思いついたのが、昭和六十年、一九八五年八月の日航機の墜落事故、御巣鷹の尾根の事故であります。おぼろげながら、連日悲惨なニュースが伝えられていたのを今でも記憶をしております。
ただ、昭和全体を歴史的に振り返りますと、やはり一番大きな出来事というのは、アジア太平洋戦争、第二次世界大戦だったのではないでしょうか。
政府もこの点はしっかりと御認識いただいているかと思いますが、今年の一月十七日に昭和百年に関連する省庁の連絡会議が開かれて、「昭和百年」関連施策の推進についての基本的な考え方を取りまとめておられます。
その中で、やはり、二度と戦争の惨禍を繰り返してはいけないという誓いの下、外交、通商貿易、文化交流など、多くの分野で平和を希求する道を歩み、揺れ動く世界情勢の中にあって、国際社会の安定と繁栄に貢献してきた、今後とも、平和を希求する歩みを続けるとともに、歴史の教訓を次の世代に継承していくことが必要であるというふうに明記をされております。もっともなことだと思います。
具体的には、戦争体験などの語り部の次世代への継承ですとか、戦争の悲惨さや労苦、これを振り返って学ぶことを施策の方向性として明記をされています。
私は、地元が富山県富山市の選出であります。一九四五年、昭和二十年の八月一日から二日にかけて富山大空襲がありまして、市街地の九九・五%が焼き尽くされて焦土化をし、被災者は十一万人、お亡くなりになった方が二千七百人ということで、当時の地方都市の人口比ではこの富山市の大空襲が一番大きな被害であったというふうに言われておりまして、毎年八月一日、富山市が主催をして、富山市民感謝と誓いの集いを開いておりまして、その式典の中では、富山大空襲の体験談を朗読をしたり、あるいは中学生が作文を発表して不戦を誓ったり、遺族や市民による献花が行われております。
そして、その八月一日、毎年、夜、富山市の中心部を流れる神通川で納涼花火大会というものが行われておりまして、現在も続いております。昭和二十二年からやっておりまして、これは、犠牲者の鎮魂と復興、平和への願いを込めて始まったものだとされております。
そして、昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞されました。大変すばらしいことだと思いますけれども、やはり、核兵器のない世界を実現するための努力と、核兵器が二度と使われてはならないことを、証言したことを高く評価したものと受け止めております。
一方で、世界情勢というのは混沌とし、緊迫をしておりますが、やはりこういう時代だからこそ我が国が果たすべき役割は大きく、改めて戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ機会を設けることは重要だと思います。
昭和百年の意義づけでありますとか昭和の時代の位置づけというのは様々な見解がありますし、歴史観も様々だとは思うんですけれども、林官房長官にとって、この昭和百年で我が国にとって最も大きな出来事はどんなものだったとお考えでしょうか。先ほど私が申し上げた、戦争体験の語り部の次世代への継承ですとか、戦争の悲惨さ、これをしっかりと学んでいく、こういった点について官房長官の所見をお尋ねしたいと思います。
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林芳正(自民)内閣官房長官
山先生、昭和五十四年お生まれということで、羨ましいぐらいお若いなと思って聞いておりました。五十四年は、私、大学に入った年でございましたので。一番記憶に残っておられるのは御巣鷹ということでございましたが。
今お話しいただいたように、昭和、これは、未曽有の激動と変革、苦難と復興の時代だと。その中でも、多くの人々が犠牲になったさきの大戦、これは極めて大きな出来事であるというふうに考えております。
亡くなった父が時々話しておったんですが、御案内のように、広島の後、小倉に原爆を落とすというプランがあった。もし小倉に落ちていたとしたら、私は下関ですので、おまえは…
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10山山登志浩(立憲)
どうも御答弁ありがとうございます。
やはり、戦争と平和の問題こそ、この「昭和百年」関連施策で最も重要なテーマというふうに位置づけていただけるというふうに理解をしました。
続けて質問をさせていただきますが、先日、広島市の市長と長崎市の市長が虎ノ門にありますアメリカ大使館を訪れまして、是非被爆地を、米国の、アメリカの大統領に訪れてほしいという要請をされました。一月二十八日であります。
先日の代表質問でもありましたが、核兵器禁止条約の締約国会議へオブザーバー参加してほしいというような思いもありますが、そういったこともしかりですけれども、やはり、アメリカの…
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林芳正(自民)内閣官房長官
我が国としては、唯一の戦争被爆国でございますので、核兵器による広島、長崎の惨禍は決して繰り返してはならない、こうした信念の下で、核兵器のない世界の実現に向けて、米国とも協力しながら、現実的かつ実践的な取組を積み重ねていくということが重要であると考えております。
外務大臣として広島サミットにも、当時の岸田総理に同席いたしまして、資料館、首脳を始め皆様に見ていただきましたので、こういうことの重要さは承知をしているつもりでございます。
今お話があったことも含めて、しっかり総理と共有したいと思っております。
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