分かりました。個人の持つ政治的な自由と法人、団体の持つ政治的な自由には差はあるけれども、法人、団体にも当然政治活動の自由があるので、企業・団体献金を全面禁止までするとなると、それは行き過ぎ、やり過ぎではないかという立場に立たれているということが分かりました。
では、次に、我々がなぜ企業・団体献金を全面禁止することは適切だと思っているのかについて、それに基づいて質問をさせていただきたいと思います。
まず、自民党提出者に改めて聞きますけれども、政治献金は何を目的になされるものなんでしょうか。また、政治献金と賄賂はどう違うのか、御説明いただきたいと思います。
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長谷川淳二(自民)
まず、先ほど来答弁していますとおり、全く同じと言っているわけではございません。憲法三章に定める国民の権利及び義務の各条項は性質上可能な限り内国の法人にも適用される、この性質上可能な限りという言葉に全てが凝縮されていると思います。
おっしゃるとおり、例えば選挙権や被選挙権は企業、労働組合や政治団体には認められないところでございます、自然人に限ったところでございます。ただ、一方、法人も憲法に基づく納税の義務を負っているところでございます。八幡製鉄事件判決は、これを根拠として企業・団体献金を政治活動の自由の一環として認めているところでございます。なので、先ほ…
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斎藤アレックス(維新)
ありがとうございます。
では、今の御回答で確認ができましたけれども、政治活動の自由というのは企業、団体も個人も持っているけれども、企業、団体が持っている政治活動の自由というのは個人、自然人に対して劣後するものであって、公共の福祉に照らして必要に応じて立法府の意思で、例えば企業・団体献金を禁止するといった制限を行うことは合憲であるという立場に同様に立っていただけるということだと解しました。違いますか。企業・団体献金を禁止するとなると違憲の疑いが出てくるということなんでしょうか。
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長谷川淳二(自民)
これも繰り返しになりますが、憲法三章に定める政治活動の自由も含めて性質上可能な限り法人にも適用される、性質上可能な限りという中で、先ほど来申し上げているとおり、その制約の在り方については、公共の福祉からの必要やむを得ない制約であるかどうか、その必要性や合理性について慎重の上にも慎重に考える必要がある、したがいまして全面禁止については我が党としては行き過ぎだというふうに考えております。
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- (上の発言)
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斎藤アレックス(維新)
分かりました。個人の持つ政治的な自由と法人、団体の持つ政治的な自由には差はあるけれども、法人、団体にも当然政治活動の自由があるので、企業・団体献金を全面禁止までするとなると、それは行き過ぎ、やり過ぎではないかという立場に立たれているということが分かりました。
では、次に、我々がなぜ企業・団体献金を全面禁止することは適切だと思っているのかについて、それに基づいて質問をさせていただきたいと思います。
まず、自民党提出者に改めて聞きますけれども、政治献金は何を目的になされるものなんでしょうか。また、政治献金と賄賂はどう違うのか、御説明いただきたいと思います。
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小泉進次郎(自民)
まず、一般論としてでありますが、政治献金の目的については、国民の政治参加の手段の一つでありまして、自己の信念に基づき政党や公職の候補者を支援し、ひいては民主政治の健全な発達を希求して行われるものと考えております。
そして、今、アレックス議員が御指摘の二つ目、賄賂に関して。収賄罪は、公務員がその職務に関し、すなわち職務との対価性ある賄賂を収受等する犯罪行為をいう。政治献金と賄賂については、政治献金の形態を取って行われた財産的利益の提供が賄賂に該当するかどうかは、具体的な事実関係の下において、これを受領した政治家の公務員としての特定の職務行為との対価性が認…
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斎藤アレックス(維新)
ありがとうございます。今御説明いただいたとおり、具体的な例に照らして、それが何かの利益供与の対価、引換えとしてお金を受け取っていれば、それは賄賂を受けたことになるし、賄賂を贈ったことになるということでございます。
しかし、一方で、この委員会とか、昨年のこの委員会の議論でも私は違和感があるのは、政治がゆがめられた、ゆがめられていないという言い方がありますけれども、ゆがめられているかどうかは人、視点によって変わるわけでございます。日本国にとってこの政策の方向性がいいと思っている方からすれば、それは政策がいい方向に変わったということで別にゆがめられていないし…
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小泉進次郎(自民)
どのようにお答えするのがアレックス議員の問題意識に当てはまるのかなと思いますが。
確かに、ゆがんでいるか、ゆがんでいないかということをどのように見るかは立場によって異なるというのは、そのとおりだと思います。例えば、共産主義国家にしたいという立場の人がいて、我々は、いや、それは違う、民主主義を守りたいんだと言った場合に、どれだけ我々が頑張ったって、それはゆがんでいると言われるわけで、そういったことでよろしいんでしょうか。
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