浅野哲 (国民民主党)

2025年6月6日・第217回国会 衆議院 厚生労働委員会 第25号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 137 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 185 発言)

この補足性原理なんですけれども、本当に、国内に限らず、海外からも指摘がされています。国連の社会権規約委員会などでも、この補足性原理については問題視されているということであります。

少し、ちょっと歴史の話をさせていただくんですけれども、私が調べたところ、補足性原理、この歴史をたどっていくと、日本国内では大宝律令の時代ですね、七世紀。大宝律令が施行されて、租税が国民に対して課せられるようになったときに、それが厳しくて、生活に困窮する世帯が出てくることが想定されて、その場合、まずは困窮している人の親族で助け合いなさい、それでも助けることができない場合には国が面倒を見ます、こういう考え方が取り入れられました。七世紀ですね。

近代でも、いわゆる旧生活保護法あるいはそれ以前、明治時代の恤救規則や救護法の時代ですけれども、このときも、まず本人が働けるのに働かなかったり、あるいは素行不良な者に対しては生活保護を提供しない。つまりは、自分でできるのだったら自分でやりなさい、素行不良の場合には支援を受ける資格もありませんというような欠格条項が含まれていて、旧生活保護法のときまで残っていました。

今の生活保護法が成立したときに欠格条項はなくなったんですけれども、ただ、それでもやはり、ある種の自己責任ですね、資産があり、あるいは働けるのであれば働いてください、その上で今の生活保護制度を請求してくださいというような考え方を今なお、今の日本の国は取っています。

これで権利性をちゃんと国民の皆さんに理解してもらいたいと言っても、なかなかこれは、国がこれまでたどってきた歴史と、そして今、補足性原理というものを採用している今の国の姿勢と、一方で、国民には権利があるからそれをちゃんと活用してほしいというその思いが、ある種矛盾していると思うんですね。

これを解消するための提案として、次の質問に移りたいんですけれども、これは今まで様々な有識者あるいは団体からも提案されているんですが、生活保護という言葉、この言葉が持つ上意下達の響きが制度に対する忌避感やスティグマを助長しているという指摘があります。ドイツでは、生活保護という名前を改め、市民手当という名称に変えました。韓国でも、生活保護法の名前を改め、基礎生活保障法へと名前を変えました。

日本においても、生活保障あるいは基礎生活支援といった名称、つまりは、国がしっかりと保障するんだ、国民の最低限の暮らしを、憲法二十五条で規定された最低限の暮らしを国が保障するという姿勢をしっかりと示す、そんな名称に改めるべきではないかと思うんですが、政府の見解はいかがでしょうか。

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