自衛官は任官する際に服務の宣誓を行いますが、この服務の宣誓の中に、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛するという自衛隊の任務、隊員としての服務の義務を一人一人に位置づけをしているわけでございます。
また、政府の最も重要な責務である、国民の命と幸せな暮らしを守るという自衛隊に対して託された思いに応えることを国民に対して宣誓しているわけでありまして、このような服務の宣誓というのは、自衛隊員として身を挺してその任務を遂行し、国民の命と幸せな暮らしを守るという国民から託された思いに応えられるということであり、隊員一人一人に要求される重い責任を自覚されるものであるというふうに考えております。
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橋本幹彦(国民)
国民民主党の橋本幹彦でございます。
中谷防衛大臣、そして岩屋外務大臣の所信に関して質問いたします。
まず冒頭、私は、日本が自分の国のことは自分で決められる、このことが極めて重要だと考えております。その上において、その根幹において、自分の国のことを自分で守る、これが欠かせない要素であると考えております。この国の根幹、国の守りというところを確かにするために、その担い手である自衛官を大事にする、これについては会派を超えて異論はないと思います。
では、自衛官を大事にするとはどういうことか。
私は、今、政権が検討している、俸給を上げたり、あるいは叙勲の在り…
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中谷元(自民)防衛大臣
名誉と申しますと、それぞれの本人が、そのことをやることとか、そのことに所属しているとか、それに対する満足というかやりがいというか、そういうものが誇りだというふうに思います。
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橋本幹彦(国民)
ありがとうございます。
今お尋ねしたのは自衛官としての名誉と誇りについてであります。一般論としてそのような名誉と誇りというのはあろうかとは思うんですけれども、自衛官の専門性、特殊性というところを踏まえたときに、その名誉と誇りの議論のスタートは、やはり、命を賭して戦う可能性がある、そのときに、何のために戦うのか、どうして戦うのか、この問いに答えることが議論のスタートになるものだと考えています。
勲章や俸給、生活環境は確かに大事ですけれども、これは名誉と誇りという意味では末節の議論であって、何のために戦うのかというところへの問いに答えていることにはなりま…
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- (上の発言)
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中谷元(自民)防衛大臣
自衛官は任官する際に服務の宣誓を行いますが、この服務の宣誓の中に、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛するという自衛隊の任務、隊員としての服務の義務を一人一人に位置づけをしているわけでございます。
また、政府の最も重要な責務である、国民の命と幸せな暮らしを守るという自衛隊に対して託された思いに応えることを国民に対して宣誓しているわけでありまして、このような服務の宣誓というのは、自衛隊員として身を挺してその任務を遂行し、国民の命と幸せな暮らしを守るという国民から託された思いに応えられるということであり、隊員一人一人に要求される重い責任を自覚されるものであるというふうに考えております。
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橋本幹彦(国民)
例えば、我が国の平和を守るという言葉ですけれども、戦闘状態に入るということは、既に平和が崩れている状態なわけです。場合によっては、自衛隊が戦わない方が平和なのではないかというような世論が形成される状況も想定されると思います。
当然、自衛隊は国民の支持なくして戦えません。しかし、自衛隊の持つ戦い抜く正義が平和という言葉によって表されるものだとしたら、任務を遂行するに当たって広く国民の理解を得られない文言なのではないかということなんです。
あるいは、独立を守るという言葉。現場にいる人間としては、米軍と一体化している場面が非常に多いわけです。多くの駐留軍が…
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100青青木健至防衛省人事教育局長
お答え申し上げます。
先ほど大臣から説明したとおり、国民に対する負託に応えることが重要だというふうに考えております。また、服務の宣誓、この内容、意味、あるいはこの構造は委員もよく御存じだと思いますけれども、服務の宣誓の一番最後にある「もつて国民の負託にこたえる」、ここが重要だというふうに私どもは思っております。
では、その国民の負託とは何なのかということでございますけれども、まさに究極的には、国民の命と幸せな暮らしを守る、こういうことを国民から自衛隊は負託されている。その自衛隊を構成する自衛隊員は、これに基づいて、この負託に応えるように身を賭して頑張…
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橋本幹彦(国民)
今の局長のお答え、負託に応えるのはそのとおりだと思うんです。ただ、るる先ほど申し上げたような事例、例えば韓国の事例、米国の事例は、敵というものが何なのか、何に対して戦って、それは何のために戦うのかという哲学的な問いが発生するような状況で、自衛隊が果たしてこの憲法の下で戦い抜くことができるのか、自衛官が迷いなく戦うことができるのか、そういった言葉になっているのかということをお尋ねしているわけであります。
そもそも論ですけれども、敵という言葉を先ほど言いましたけれども、自衛隊において敵という言葉をどういうふうに捉えているんでしょうか。どういうものが敵だとい…
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