窪田哲也 (公明党)

2026年7月3日・第221回国会 参議院 沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会 第6号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 40 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 83 発言)

公明党の窪田哲也です。今日はありがとうございます。

三人の参考人の皆様からは、非常に重いお話を伺いました。

私も議員になる前は公明新聞の記者を長くやっておりまして、二十代で初めて沖縄に赴任をしまして、橋本・モンデール会談のあの日のことも鮮明に覚えておりますし、少女暴行事件のあの宜野湾での集会八万五千人、あの日のこともよく覚えております。それから、二〇〇四年のヘリの墜落のあの日、私はたまたま浜比嘉島にいたんですね。比嘉良彦県政策参与と一緒でした。もし今、普天間飛行場に米軍機が墜落するようなことがあれば日米安保条約は大変なことになるという、そういう話をされたその瞬間にヘリが墜落していたんで、すぐ私、向かいました。米軍が、米兵がヘリの残骸を、ローターというんですかね、羽を持って幼稚園の近くを歩いている姿も鮮明に覚えておりますし、その事故の日のことをとてもよく覚えております。

三十年たっても普天間が動かないということは、沖縄に関わってきた一人として、そしてまた、今この席に座っている者として、とても重い宿題を背負ったまま生きているんだなということを今日改めて実感をした次第であります。

最初に、前泊参考人に伺いたいと思います。

もちろん今この状況の中で、学生の皆さんのお話もされました。もう諦めのことになりつつある。もうこの普天間があるのが当たり前で、そういう感覚に陥るのではないかなというふうに感じますけれども、これから、私ども本気でもう一段ギアを上げて、我々政治家が先頭に立って、改めて日米交渉というもののありようを問いながらこの問題を進めていかなきゃならないと思っています。

一つ、先ほど、米軍シンクタンクに考えさせるというのも一つだということをおっしゃいました。SACO2、SACO3、そうしたものをつくり出していく、そういう構想力も必要だと思います。

具体的に、これから一日も早い普天間の返還を目指していく上で、具体的な提案がございましたらお聞かせいただきたいと思います。

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