後藤翔太 (参政党)

2026年4月2日・第221回国会 参議院 文教科学委員会 第4号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 140 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 174 発言)

ありがとうございます。

このような、言語は単に一つの手段にとどまるものではなくて、日本人の感性を理解してもらう上でも非常に重要であるというふうに考えます。

さて、我々参政党は、昨年の参議院選挙において、日本人ファーストというキャッチコピーとし、多くの支持をいただきました。また、その一方で、否定的な評価も受け、賛否の意見はそれぞれかみ合わなかったと認識しています。別の陣営を応援する方からは、そもそも日本人とは誰のことを言っているんだという問いかけもあったようです。

私の個人としての考え方ですが、私が日本人と言うときには、人種、レースではなく、ネーションを意識しています。中井遼氏の著作、「ナショナリズムとは何か」においては、同氏は、ネーションは共通の言語、領土、経済生活、日常的文化のうちに現れる心の特性に基づき、歴史的に構築された共同体と定義しております。これは、必ずしも民族的同質性を意味するものではなく、例えばスイスやベルギーのように、多様な民族によって構成されつつも共通の帰属意識を持つ国家も存在します。

翻って、現在、外国人問題は、国籍によって権利義務を明確にする法的な解決が方法として施行されているという印象を受けますが、今あらゆる場面で生じている日本人と外国人との衝突はネーションの問題、つまり共同体としての感覚を共有できていないことにある、そういうふうに考えます。

日本国籍を今この瞬間取得したことをもって直ちに日本人の地域コミュニティーがその人を仲間とみなすかといえば、そうとは限りません。本当の意味での共生を考えるのであれば、我々の根底にある認識や意識、世界観や社会観を左右するものは何かということに向き合う必要があるというふうに考えます。

これを考える上で、中井氏は、言語の違いが特に重要であり、同じネーションとみなすためにも最も重要視されやすいのは、現地語を話すか否かであるというふうに指摘します。つまり、日本語教育は、日本人としての共同体意識を持つ上で非常に重要だということです。

ここで、大臣に伺いたいと思います。

現地語がネーションへの事実上の入場券であるとすると、日本社会での共生を望む外国人に対して、日本語は社会参加とコミュニケーションのための共通規格として位置付けられるのではないでしょうか。このように明確に定義することが日本人、外国人双方の安心と秩序の形成につながると考えますが、御意見を伺いたいと思います。

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