参政党の和田政宗です。
九条についての参政党の考えを申し述べます。
参政党は、憲法を一から国民の手で作り直す創憲を掲げ、九条についても根本的な改正を掲げています。
そもそも九条は、さきの大戦後のGHQ占領下において、日本の武力放棄とともに、米軍の日本における駐留はセットであるとの考えで作られたものです。
参政党は、自民党が示す憲法改正のたたき台案のように、現行憲法に自衛隊を明記するだけでは不十分であると考えています。現状維持のまま自衛隊の存在を記すだけでは、国防体制の強化になりません。国土、国民をどんなときも必ず守るためには、自衛のための軍隊、自衛軍を保持し、自国の防衛は、他国に依存するのではなく、自らの手で行うべきと参政党は考えています。
現状、自衛隊の行動はポジティブリスト方式で制限されており、他国の国防軍のようなネガティブリスト方式になっていません。事前に決められたできることだけに拘束される、あくまで警察権の延長の組織でしかなく、やってはならないことを定める各国の国防軍とは大きくかけ離れた組織を憲法で担保するだけになります。
先ほど自民党の新藤筆頭幹事より、自衛隊法八十八条を挙げ、防衛出動の際はネガティブリストで行動ができるという意見表明がございましたけれども、平成十五年五月十六日の石破防衛庁長官答弁に加えまして、平成二十六年六月三日の質問主意書に対する政府答弁書では、政府は、自衛隊法はいわゆるポジティブリストであると認識しているとしています。法律の解釈で自民党と政府での違いが出ているのではないかと思います。解釈でしのぐのではなく、憲法にしっかり位置づけることが必要であると考えます。
政府は、国土と国民の命を守るために、あらゆることを考え、あらゆる行動を取らなくてはなりません。憲法に書いていないからできない、国土が攻撃を受け国民の命が失われても、憲法上できないので何も行動しないとなれば、憲法を守って国滅ぶとなり、まさに本末転倒です。いかに国土と国民を守るかが政府の責務であり、それを憲法が保障すべきです。
同じ敗戦国であり、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄を憲法でうたうイタリアは、憲法に、祖国の防衛は市民の神聖な義務であると記されています。また、憲法上非武装で軍隊を持たないコスタリカやパナマも、いざというときには軍隊を編成したり武器を取って戦うことが明記されています。
例えば、コスタリカ憲法は、恒常的機関としての軍隊は禁止する、米州の協定により又は国防のためにのみ軍隊を組織することができるとあります。米州の協定、ボゴタ憲章及び米州相互援助条約に基づくか、国防のためであるならば軍隊を組織することが可能であり、同憲法百四十七条には、内閣は、国家防衛状態の宣言並びに軍の動員命令、軍の組織化及び講和交渉の権限を国会に請求するとあります。
また、パナマ憲法は、三百十条に、パナマ共和国は軍隊を保有しない、全てのパナマ人は国家の独立及び国の領土を守るために武器を取ることが求められると記しています。
現行憲法は、GHQが急いで作った条文が基となり、ほぼそのまま日本国憲法となりました。その原案作成にかけた時間はたった三日だったのではないかという説もあります。こうした憲法ですから不備や足りない部分があるのも当然で、本来は改正によって内容を高めていくわけですが、日本では、それが種々の事情でできなかったことにより、解釈を積み上げていくという方法によって憲法の不備を補うという状況になっています。
現行憲法九条一項のような侵略戦争をしないという条文は、一九二八年のパリ不戦条約からもたらされた精神であり、だからこそ各国憲法に盛り込まれています。しかし、それと対になる条文は、通常、侵略はしないけれども、国を守るために国防軍や軍隊を持つというものです。これは、国土と国民を守るためにごく当たり前のことです。
ところが、現行憲法では、国際紛争の解決のための戦争を放棄した上で、戦力を持たない、交戦権も否定ということまで宣言しています。この部分を見ると、国を守るために定めるべきものを定めていない、いびつな憲法とも言えます。
なお、ハンガリーは、以前、戦争放棄を憲法に明記していましたが、国防の観点から、二〇一一年制定の新憲法において戦争放棄の条文を盛り込んでおりません。
防衛のための軍隊を保持することについて、戦争をできる国にすると批判する人がいますが、スイスを事例として見たいと考えます。
スイスは永世中立国ですが、常備軍がある上に、国民はいざというときに銃を取って戦う義務があります。十九歳若しくは二十歳になると、初年兵学校で十五週から十七週間の新兵訓練を受け、ライフル銃を受領し、自宅に持って帰って格納します。その後、年三週間の軍事訓練を十回に分けて受けなくてはなりません。そして、有事の際には弾薬が供給され、家庭で保管していたライフル銃を手に軍に加わって戦闘を行います。スイスのこうした防衛の仕方は国民皆兵と称されます。
そして、最終的に焦土作戦というものもあります。これは、相手国の軍隊がスイスに侵略し、どうしてもスイスを防衛できないとなれば、自国の橋やトンネル、道路、工場にまで火を放ち、全てを焼き尽くしてしまうというものです。すなわち、全てが失われた状態で侵略国にスイスを渡し、スイス国民は、国外のどこかに亡命政府を打ち立て、スイス国土を奪還する作戦に出るというものです。
このような覚悟があるスイス国家と国民に対し戦争をしかける国があるでしょうか。結局、スイス国土を占領しても、多大な犠牲を強いられるとともに、占領したスイス国土には何も残っておらず、一からまた建設工事を始めなくてはなりません。他国はそんなリスクを冒してまで戦争はやらないはずです。
我が国は、国防とは何か、国土と国民の命を守るということは何かをもう一度考え直す必要があると考えます。我が党がなぜ創憲を掲げ、憲法を一から作り直す必要性を訴えるのか。それは、現行憲法が、GHQ草案が基になり、国民の自由な意思で作られていないことでこのように様々な問題点を抱えているからです。憲法を一から作り直し、国家、領土、国民を守るために、ごく当たり前のことを当たり前にできるようにしなくてはなりません。
以上です。
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古屋圭司(自民)
今、具体的に質問がございました。持ち時間の範囲内で答弁を許します。
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新藤義孝(自民)
私の発言を分析していただいて非常にありがたいと思いますし、まさにこういう議論を深めていくことが重要だという意味では、非常に建設的な御提案と御意見をいただいたと思います。
与党内でというのは、それぞれやはり各政党でお考えがあります。ただ、私先ほど申しましたように、いずれにしても、この国の防衛を万全な体制にしなければならない、この思いは共有しておりますし、それをどのように実現するかという意味で、今現状、私ども自民党と維新の会は、実務者協議という場で、この九条の問題をしっかりと詰めていこうということで作業をかなり進めております。ですから、同時並行で、私たちの…
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古屋圭司(自民)
今の質問に対して、もう質疑時間が終了しておりますので、次回改めてということでお願いしたいと思います。
次に、和田政宗君。
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- (上の発言)
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和田政宗(参政)
参政党の和田政宗です。
九条についての参政党の考えを申し述べます。
参政党は、憲法を一から国民の手で作り直す創憲を掲げ、九条についても根本的な改正を掲げています。
そもそも九条は、さきの大戦後のGHQ占領下において、日本の武力放棄とともに、米軍の日本における駐留はセットであるとの考えで作られたものです。
参政党は、自民党が示す憲法改正のたたき台案のように、現行憲法に自衛隊を明記するだけでは不十分であると考えています。現状維持のまま自衛隊の存在を記すだけでは、国防体制の強化になりません。国土、国民をどんなときも必ず守るためには、自衛のための軍隊、自衛軍を保持し、自国の防衛は、他国に依存するのではなく、自らの手で行うべきと参政党は考えています。
現状、自衛隊の行動はポジティブリスト方式で制限されており、他国の国防軍のようなネガティブリスト方式になっていません。事前に決められたできることだけに拘束される、あくまで警察権の延長の組織でしかなく、やってはならないことを定める各国の国防軍とは大きくかけ離れた組織を憲法で担保するだけになります。
先ほど自民党の新藤筆頭幹事より、自衛隊法八十八条を挙げ、防衛出動の際はネガティブリストで行動ができるという意見表明がございましたけれども、平成十五年五月十六日の石破防衛庁長官答弁に加えまして、平成二十六年六月三日の質問主意書に対する政府答弁書では、政府は、自衛隊法はいわゆるポジティブリストであると認識しているとしています。法律の解釈で自民党と政府での違いが出ているのではないかと思います。解釈でしのぐのではなく、憲法にしっかり位置づけることが必要であると考えます。
政府は、国土と国民の命を守るために、あらゆることを考え、あらゆる行動を取らなくてはなりません。憲法に書いていないからできない、国土が攻撃を受け国民の命が失われても、憲法上できないので何も行動しないとなれば、憲法を守って国滅ぶとなり、まさに本末転倒です。いかに国土と国民を守るかが政府の責務であり、それを憲法が保障すべきです。
同じ敗戦国であり、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄を憲法でうたうイタリアは、憲法に、祖国の防衛は市民の神聖な義務であると記されています。また、憲法上非武装で軍隊を持たないコスタリカやパナマも、いざというときには軍隊を編成したり武器を取って戦うことが明記されています。
例えば、コスタリカ憲法は、恒常的機関としての軍隊は禁止する、米州の協定により又は国防のためにのみ軍隊を組織することができるとあります。米州の協定、ボゴタ憲章及び米州相互援助条約に基づくか、国防のためであるならば軍隊を組織することが可能であり、同憲法百四十七条には、内閣は、国家防衛状態の宣言並びに軍の動員命令、軍の組織化及び講和交渉の権限を国会に請求するとあります。
また、パナマ憲法は、三百十条に、パナマ共和国は軍隊を保有しない、全てのパナマ人は国家の独立及び国の領土を守るために武器を取ることが求められると記しています。
現行憲法は、GHQが急いで作った条文が基となり、ほぼそのまま日本国憲法となりました。その原案作成にかけた時間はたった三日だったのではないかという説もあります。こうした憲法ですから不備や足りない部分があるのも当然で、本来は改正によって内容を高めていくわけですが、日本では、それが種々の事情でできなかったことにより、解釈を積み上げていくという方法によって憲法の不備を補うという状況になっています。
現行憲法九条一項のような侵略戦争をしないという条文は、一九二八年のパリ不戦条約からもたらされた精神であり、だからこそ各国憲法に盛り込まれています。しかし、それと対になる条文は、通常、侵略はしないけれども、国を守るために国防軍や軍隊を持つというものです。これは、国土と国民を守るためにごく当たり前のことです。
ところが、現行憲法では、国際紛争の解決のための戦争を放棄した上で、戦力を持たない、交戦権も否定ということまで宣言しています。この部分を見ると、国を守るために定めるべきものを定めていない、いびつな憲法とも言えます。
なお、ハンガリーは、以前、戦争放棄を憲法に明記していましたが、国防の観点から、二〇一一年制定の新憲法において戦争放棄の条文を盛り込んでおりません。
防衛のための軍隊を保持することについて、戦争をできる国にすると批判する人がいますが、スイスを事例として見たいと考えます。
スイスは永世中立国ですが、常備軍がある上に、国民はいざというときに銃を取って戦う義務があります。十九歳若しくは二十歳になると、初年兵学校で十五週から十七週間の新兵訓練を受け、ライフル銃を受領し、自宅に持って帰って格納します。その後、年三週間の軍事訓練を十回に分けて受けなくてはなりません。そして、有事の際には弾薬が供給され、家庭で保管していたライフル銃を手に軍に加わって戦闘を行います。スイスのこうした防衛の仕方は国民皆兵と称されます。
そして、最終的に焦土作戦というものもあります。これは、相手国の軍隊がスイスに侵略し、どうしてもスイスを防衛できないとなれば、自国の橋やトンネル、道路、工場にまで火を放ち、全てを焼き尽くしてしまうというものです。すなわち、全てが失われた状態で侵略国にスイスを渡し、スイス国民は、国外のどこかに亡命政府を打ち立て、スイス国土を奪還する作戦に出るというものです。
このような覚悟があるスイス国家と国民に対し戦争をしかける国があるでしょうか。結局、スイス国土を占領しても、多大な犠牲を強いられるとともに、占領したスイス国土には何も残っておらず、一からまた建設工事を始めなくてはなりません。他国はそんなリスクを冒してまで戦争はやらないはずです。
我が国は、国防とは何か、国土と国民の命を守るということは何かをもう一度考え直す必要があると考えます。我が党がなぜ創憲を掲げ、憲法を一から作り直す必要性を訴えるのか。それは、現行憲法が、GHQ草案が基になり、国民の自由な意思で作られていないことでこのように様々な問題点を抱えているからです。憲法を一から作り直し、国家、領土、国民を守るために、ごく当たり前のことを当たり前にできるようにしなくてはなりません。
以上です。
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古屋圭司(自民)
次に、古川あおい君。
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25古古川あおい(みらい)
チームみらいの古川あおいです。
本日は、憲法九条についての議論ということで、まず私どもの基本姿勢を申し上げます。
チームみらいは、我が国の憲法について、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三大原理を揺るぎのない大前提として堅持してまいります。九条につきましても、平和主義を堅持する、この姿勢は変わらないということをまず申し述べておきます。戦後、我が国が国際社会の中で平和国家としての立ち位置を築いてくるに当たり、現行憲法、とりわけ九条が果たしてきた役割は決して小さなものではないと受け止めております。
その上で、そもそも我々は何のために憲法論議を行…
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古屋圭司(自民)
次に、畑野君枝君。
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