いや、だから、どう知恵出すかだったんですね。
あのときも、福島のここに出すということだった。今、全国のやつは何で福島だけなんだというふうになったんで、じゃ警戒区域だけに限定しようかといって、そうしたらもう全国の人は文句言わないから、その予算ここで使えるね。だから、今言った津波地域ということでの、なおかつ、またそこに雇用とくっつけてつくった。それが令和七年で終わりということであるならば、それの何か違うまた、味付けと今おっしゃった、だからそこはやっぱり知恵をどう出すかと。
だから、一律地方でいろんなことをやろうとすると、何かコンサルがつくったような、もうみんな同じようなメニューだと、はっきり言って面白みもなければ、余り効果もないと思うんですね。だから、気仙沼独自のそういった制度というか企画、これがやっぱり光れば、そこに人も来るし、光も当たるという部分だろうなと。だから、そこは、いろいろ何かやられているようでありますけれども、何かちょっとそういった部分で光るものが何か欲しいなと。
だから、一番最初に、子供たちか何かの百人の会のときに、気仙沼で何とかってありましたよね、したいことができるみたいな、何かそういう部分で特化したやつがあるといいなと思ったんですけど、そこら辺は、公述人、何か知恵はありますか。
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岩渕友(共産)
以上で終わります。ありがとうございました。
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大島九州男(れいわ)
れいわ新選組、大島九州男でございます。
菅原公述人、私は発災当時、輿石さんから宮城県担当を言われて一番最初に入ったのが気仙沼。本当にあのときに、もうあの燃えた臭いと、魚の、いろいろなことを思い出しますよね。
本当に大変だったなと思うんですけど、ちょうど愛知県の不登校の子供たちが、町へ出て、そこで募金をしたやつを届けに行きたいというんで、気仙沼市役所にお届けに行ったことも思い出しますし、そしてまた、小野寺先生からいろいろ頼まれて、当時、冷蔵庫の中に入っていた魚がもう腐ってどうしようもなかったやつを何とか海洋投棄したいけれど、制度でいうと遠くまで行かなく…
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152菅菅原茂気仙沼市長
大変いいことを聞いていただきました。ありがとうございます。
復興特区だったわけですね。それは、地震があって、津波がなくても復興特区になったわけです。ですから、当初の段階で二百二十以上の自治体が復興特区になりました。となるとどうなるかというと、企業は津波が来ないところの特区に立地をすることになります。かえって津波や原子力災害の地域にとっては、マイナスと言ったら失礼ですけれども、逆効果になるということを政府の方に指摘をさせていただきました。その結果、先生がおっしゃった津波、原子力災害の地域における雇用を促進する補助金というのが出まして、もう既に最終締切りに…
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- (上の発言)
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大島九州男(れいわ)
いや、だから、どう知恵出すかだったんですね。
あのときも、福島のここに出すということだった。今、全国のやつは何で福島だけなんだというふうになったんで、じゃ警戒区域だけに限定しようかといって、そうしたらもう全国の人は文句言わないから、その予算ここで使えるね。だから、今言った津波地域ということでの、なおかつ、またそこに雇用とくっつけてつくった。それが令和七年で終わりということであるならば、それの何か違うまた、味付けと今おっしゃった、だからそこはやっぱり知恵をどう出すかと。
だから、一律地方でいろんなことをやろうとすると、何かコンサルがつくったような、もうみんな同じようなメニューだと、はっきり言って面白みもなければ、余り効果もないと思うんですね。だから、気仙沼独自のそういった制度というか企画、これがやっぱり光れば、そこに人も来るし、光も当たるという部分だろうなと。だから、そこは、いろいろ何かやられているようでありますけれども、何かちょっとそういった部分で光るものが何か欲しいなと。
だから、一番最初に、子供たちか何かの百人の会のときに、気仙沼で何とかってありましたよね、したいことができるみたいな、何かそういう部分で特化したやつがあるといいなと思ったんですけど、そこら辺は、公述人、何か知恵はありますか。
154菅菅原茂気仙沼市長
地方創生推進交付金の今後のメニューのことに関わってくるのかなというふうに思っています。
そういう意味では、地方におけるやはり工夫が必要だと思っています。なかなか国からこれとこれということが、地方とかみ合うことだけではないと思いますので、これまで我々も十四年間、被災地なりの努力をさせていただいておりますので、そういうところから出てきた、こういうことにお金を使うと少なくても人口が減りづらくなって、交流人口、関係人口が増やせるんだというものについてテークアップしていただきたい。
それともう一つ、やっぱり、先ほどもちょっと申し上げましたが、外貨を稼ぐというと…
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大島九州男(れいわ)
是非、気仙沼独自の新たなものをやって発展することを願っておりますので、頑張ってください。
では、西川公述人。四十年近く前ぐらいなんですけどね、福岡県、私、直方市というところなんですけど、あるお米の卸屋さんが私のところ来て、食管法には罰則がないので、ここで米の無許可販売をやりたいと。そして、そこで米道楽といってやったら爆発的に売れて、そこから私は食管法が変わったんじゃないかと思うような歴史があったんですけど、そういった認識ございます。
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156西西川邦夫茨城大学准教授
食管法は多分罰則規定があったんじゃないのかなというような、ちょっと私も定かではないんですけれども、四十年前ですか、四十年前ですと大体一九八五年ぐらいということで、確かに食管制度は当時非常に大きな、お米の過剰ですとかそういったものを抱えて改正の岐路にあったということは、それは間違いないと思います。
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