明治民法で始まった同氏の強制は、まさに家父長制だと思います。
その下で、妻と未成年の子はどんな地位に置かれましたか。
2025年3月26日・第217回国会 参議院 予算委員会 第12号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 213 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 240 発言)
明治民法で始まった同氏の強制は、まさに家父長制だと思います。
その下で、妻と未成年の子はどんな地位に置かれましたか。
お答えいたします。
まず、江戸時代においては、一般に、農民、町民には氏の使用は許されておらず、平民に氏の使用が許されたのは明治三年の太政官布告によるものであると承知をしております。その後、明治八年の太政官布告により氏の使用が義務化をされまして、妻の氏については明治九年の太政官指令により実家の氏を用いることとされました。
しかし、妻が夫の氏を称することが慣習化していったと言われておりまして、明治三十一年に施行された民法において、夫婦は同一の家に属し共にその家の氏を称するという夫婦同氏制度が導入されたものであります。
源頼朝の妻は、源政子ではなく北条政子なんですよね。むしろ、夫婦別姓が伝統で、明治維新後もそれは続きました。
それが、明治の半ばから、大日本帝国憲法、教育勅語、朝鮮出兵、日清、日露戦争へと進んだ富国強兵を背景に家制度が採用され、それと不可分に、明治三十一年の、今お話のあった民法によって、家の呼称としての同氏が法制上初めて義務化されたわけです。局長、そうですね。
お答えいたします。
委員御指摘のとおり、明治三十一年に施行されました明治民法では、第七百四十六条において「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」と、第七百八十八条第一項において「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と、それぞれ規定をされたところでございます。
このように、明治民法では、家の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦共に家の氏を称することを通じて同氏になるという考え方が採用されたと承知をしております。
明治民法で始まった同氏の強制は、まさに家父長制だと思います。
その下で、妻と未成年の子はどんな地位に置かれましたか。
お答えいたします。
家の制度では、家は戸主とその家族によって構成され、戸主はその家族に対して戸主権を行使し、戸主の身分及び財産は家督として単独相続されるものとされておりまして、妻及び未成年の子を含め戸主以外の家の構成員は、居所指定権や婚姻同意権などの戸主権に服する者とされていたと承知をしております。
また、例えば婚姻に関しては、妻は夫と同居する義務を負う、夫は妻の財産を管理すと規定され、親権に関しては、子はその家にある父の親権に服すなどと規定されていたものと承知をしております。
絶対的な戸主権の下で、妻と子は無権利、無能力者とされました。
その家制度が、一九四七年五月、日本国憲法の施行の下で廃止されたわけです。明治民法から四十九年ですね。日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間だと思います。
その年の十二月、民法改正によって、氏、氏名は、夫、妻それぞれの個人の呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴として大きく変わったのではないのか。法務大臣、いかがですか。
今御指摘のように、昭和二十二年の現行民法、この制定によって「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」というふうにされました。このことは、当然ながら、その前の明治民法のそのお家という趣旨とは異なるものと承知をしております。