上山隆大政策研究大学院大学客員教授

2025年6月3日・第217回国会 参議院 内閣委員会 第19号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 21 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 109 発言)

具体的かどうか分かりませんが、この日本学術会議という設立のプロセスの中に、当時のアカデミアの人間、とりわけサイエンティストがそうだと思いますが、これが第二次世界大戦との関わりの中で強い社会的な疑義を感じたと。そこに対して、社会的な貢献として自らのアカデミックな知見を発出すべきだという、そういう意識があったところは確かだったと思います。また、それは極めて健全なことであったろうと思います。

それが出発地点であることは認めながらも、現在において、学術のその在り方、あるいは学術が社会において求められる貢献度というものが極めて多岐にわたり始めている。先ほどの私の陳述の中で述べましたけれども、COVID―19が出てきたときに、これを迅速にどのような対応するのかについては、学術的な知見が極めてスピーディーに求められるということがるる積み重なっているわけですね。

それに対して、アカデミアの中からどのような意見発出の場ができるかというと、恐らくは日本学術会議が最大の基盤になるべきだと私は思います。そのことがアカデミアの人間として行ってきた活動の知恵の発出の場ですから。そこに果たして日本学術会議が積極的に関与することができたのか、あるいはそれを求められる状況があったのかというと、長い七十年の歴史の中で、その部分が徐々に欠落してきたと。それは先ほども申し上げましたけれども、欠落したということが学術会議の間違いだとは思いません。なぜかといえば、そのような学術的な知見を発展させるための極めてアカデミックな活動をする財務的な基盤がほぼなかったからです。

私がずっと学術会議に求めていることは、もしそのような現代的な意味でのアカデミーが求められるのであれば、政府はこれに対してもっと財政的な支援をすべきだということであります。ただし、それは、運営費交付金のように、渡し切りの、何でもどうぞやってくださいということではなくて、今、これこれの事案に関してこのようなことが社会の中では求められているという諮問が政府あるいは民間からなされ、それについての専門家としての知見を披瀝してくださいという要請があったときに、そのある種の対価として予算が積み上がっていく。アメリカにおいても、先ほど申し上げましたが、六百億を超えるような資金がある、そのほとんどは、そのような政府とのコミュニケーションの中での財政的な支援の積み上げです。

私は、あくまで政府がアカデミアの中心である日本学術会議をもっと支えるべきだ、あるいは、その支えることが、現代的な意味の、第二次世界大戦が終わった後の学術会議ではなくて現代における学術会議が果たすべき責務だと思いますが、それを果たせるような状況を果たして政府はつくってきたのかと言われると、それはクエスチョンです。しかしながら、同時に、そのような財政的な支援も含めた国民の支援を求めるという態度を果たして日本学術会議が行ってきたのかというと、これに対してもクエスチョンです。

その意味で、私は、こういうような法案ができることによって、そのコミュニケーションの輪を開く、広く開かれた学術会議の意義を一般の国民にも認めてもらい、政府関係者にも認めてもらうようなそのメカニズムをつくることが最大のチャンスだと考えています。

前後のやりとり

17の発言を見る

25の発言を見る