木村英子 (れいわ新選組)

2025年3月24日・第217回国会 参議院 厚生労働委員会 第4号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 152 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 167 発言)

れいわ新選組の木村英子です。

本日は重度訪問介護について質問します。

私は現在、重度訪問介護制度を利用し、一日二十四時間の介護を受けながら地域での生活をしています。しかし、私のような生活の全てにおいて介護が必要な重度障害者は、介護者がいない場合、施設しか行き場はなく、地域で暮らすことは実現不可能であり、このような現状は私に限らず多くの障害者が直面している現実です。事実、幼い頃から一緒に育った仲間の多くは今も施設にいます。

私は、死ぬまで施設にいるのが耐えられなくて十九歳のときに施設を飛び出し、障害者団体に助けられて地域での生活を始めました。当時は、施設中心の国の政策が当たり前の社会の中で、重度障害者の私が地域で生きるための介護制度はほとんどなく、毎日毎日、食事やトイレの介護をしてくれるボランティア探しをするしか生きるすべはありませんでした。

そして、障害者団体の運動によって、一九七四年に東京都の単独事業として重度脳性麻痺者介護人派遣事業が施行されました。この制度は、障害者自身が探してきた介護者を自治体に登録して利用できる制度として誕生し、障害者の地域生活の礎となり、多くの障害者が地域での生活を実現していきました。そして、この制度は、変遷を繰り返しながら現在の重度訪問介護となっています。地域で生きる障害者の命や生活を支えている要の制度でもあります。この制度が生まれなかったら地域で生活することはできませんし、今のように障害者の自立と社会参加が実現されてこなかったと言っても過言ではありません。

しかし、二〇〇三年に支援費制度に変わり、国の介護の派遣が民間事業所に移行され、資格取得が厳格化されているうちに、介護者を募集しても集まらず、今や制度があっても人手不足は解消されず、むしろ介護に携わってくれる人の数は減り続けています。介護者不足が解消されない中で、重度障害者は生活ができなくなり、地域で生活することを諦めて施設へ行かざるを得ない状況を招いています。私の今の現状も地域へ出てきた四十年前とは変わらず、街頭や大学などでビラをまき、自分で介護してくれる人を探し続けなければ生活ができない状態です。

そして、その窮状を私が住んでいる多摩市に訴え、資料一のとおり、二〇一二年五月から、自分で探してきた介護者を自治体に登録して利用できる多摩市障がい者自立生活サポーター支援制度が施行されました。介護者不足の中で、地域の人や大学生など資格がない人たちに介護をしてもらいながら、何とか今の生活を維持しています。

しかし、コロナ禍での離職も重なり、人手不足はますます深刻化しています。現在の資格重視の制度だけでは、私たち介護の必要な障害者の生活は壊されていくばかりです。私は施設に戻されたくはありません。これから地域で生き続けるためにも、先ほど紹介した自治体の取り組んでいる制度のように、資格がなくても介護に携われる制度をつくっていただきたいと思いますが、厚労省の見解を求めます。

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