三十年というと、もう新聞記者さんの中でも、生まれていませんでしたとか、そういう時代になってしまった。ましてや、この問題のどこに、例えばオウム真理教などに入ってしまうんだろうかということがこの三十年間はほとんど日本社会として検証されていない状況の下で、後で公安調査庁にお聞きしますけれども、特に若い人たちがいまだ後継団体に入ってきているという現実がある。
地下鉄サリン事件というのは、一言で言うならば、人類史において初めて都市部でサリンがまかれた。あのヒトラー、ナチズムがサリンというものを開発したにもかかわらず、これは使っちゃいけないということでヒトラー、ナチズムでさえ使わなかったものが、確かにフセイン政権の下でクルドに対して使われたという歴史的な事件はありましたけれども、都市部においては初めてなんですよね。それがどう検証されたかというのは、非常に重要な、深刻な問題を抱えていると思います。
そして、次にお聞きをしたいんですけれども、警察庁にお聞きをするんですけれども、事件は果たして食い止めることができなかったのかという重大問題なんですよね。
例えばオウム真理教についての事件でいえば、一つ挙げるとすれば、一九八九年の十一月四日午前三時頃、オウムの信者たち六人が坂本一家、坂本堤弁護士一家の自宅に侵入をして家族三人を殺害した。でも、その三か月後には、オウム真理教の信者だった、幹部だった岡崎一明という元死刑囚が神奈川県警に手紙を出して、写真と地図、ここに龍彦ちゃんが眠っていると言う。神奈川県警は二回捜索をしたんだけれども発見することができなかった。だけれども、九五年三月二十日に地下鉄サリン事件が起きて、その年の九月には三人の遺体が発見されるということがあった。この一つの問題、どういう捜査をやっていたかということ。
あるいは、二つ目の問題として、一九九四年の六月二十七日、松本サリン事件が起きましたよね。あのときだって、警察は努力をされて、すぐにサリン残滓物というものを発見しているんですよ。だから、松本サリン事件についても、やはりオウムだろうということは九四年の十一月の段階でそう見られていた。
あるいは、三つ目、もう一つだけ挙げておきますけれども、九五年の一月四日に、オウムの被害者家族の会の永岡弘行さんがオウムの信者によってVXで殺されかけた。救急搬送されて重体になったんだけれども、病院がサリンを検出されなかったということで、当時の警視庁は農薬による自殺じゃないかという判断を下しているんですよね。
九四年の十一月には、実は、国松孝次、当時の長官を始めとして、オウムに対する一斉捜索をやろうと、九四年十一月ですよ、地下鉄サリン事件の何か月も前に一斉捜索をやろうと検討したんだけれども、時期尚早という結論を出してしまった。
だから、結論的に言えば、地下鉄サリン事件を食い止めることができたのではないかと私は思っているんだけれども、警察庁はどのような総括をされているでしょうか。
85
西村智奈美(立憲)
次に、有田芳生さん。
この発言のページ
86
有田芳生(立憲)
有田芳生です。
三月二十日で地下鉄サリン事件から三十年になります。しかも、この三月には統一教会に対する解散命令が出される可能性が極めて高い。そういう観点から、二つの団体についてお聞きをしたいと思います。
まず、オウム真理教ですけれども、オウムの後継団体も含めてですけれども、様々な活動をやっているということを考えれば、大臣所信の中で、いわゆるオウム真理教についてはたった二行、まあ風化したなという印象を持ちましたけれども、しかも統一教会については三行、しかし様々な問題点があるということを今からお聞きをしたいと思います。
大臣、御存じでしょうか、足立区が…
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87
鈴木馨祐(自民)法務大臣
地下鉄サリン事件、今御指摘のように、今度の三月二十日でちょうど三十年というところであります。オウム真理教が当時の営団地下鉄の霞ケ関駅に向かう三路線五方面の電車内において化学兵器であるサリンを散布し、多数の一般市民の方々をまさに無差別に殺傷した未曽有のテロだと私は考えておりますし、このテロ事件はまさに日本のみならず全世界に衝撃を与えたものであります。
先ほど風化ということをおっしゃっていましたけれども、やはりこれは今まだまだ現在進行のところもございます。この後継団体ということで、アレフあるいは山田らの集団、ひかりの輪等々が主要な団体として活動をしていて、…
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- (上の発言)
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有田芳生(立憲)
三十年というと、もう新聞記者さんの中でも、生まれていませんでしたとか、そういう時代になってしまった。ましてや、この問題のどこに、例えばオウム真理教などに入ってしまうんだろうかということがこの三十年間はほとんど日本社会として検証されていない状況の下で、後で公安調査庁にお聞きしますけれども、特に若い人たちがいまだ後継団体に入ってきているという現実がある。
地下鉄サリン事件というのは、一言で言うならば、人類史において初めて都市部でサリンがまかれた。あのヒトラー、ナチズムがサリンというものを開発したにもかかわらず、これは使っちゃいけないということでヒトラー、ナチズムでさえ使わなかったものが、確かにフセイン政権の下でクルドに対して使われたという歴史的な事件はありましたけれども、都市部においては初めてなんですよね。それがどう検証されたかというのは、非常に重要な、深刻な問題を抱えていると思います。
そして、次にお聞きをしたいんですけれども、警察庁にお聞きをするんですけれども、事件は果たして食い止めることができなかったのかという重大問題なんですよね。
例えばオウム真理教についての事件でいえば、一つ挙げるとすれば、一九八九年の十一月四日午前三時頃、オウムの信者たち六人が坂本一家、坂本堤弁護士一家の自宅に侵入をして家族三人を殺害した。でも、その三か月後には、オウム真理教の信者だった、幹部だった岡崎一明という元死刑囚が神奈川県警に手紙を出して、写真と地図、ここに龍彦ちゃんが眠っていると言う。神奈川県警は二回捜索をしたんだけれども発見することができなかった。だけれども、九五年三月二十日に地下鉄サリン事件が起きて、その年の九月には三人の遺体が発見されるということがあった。この一つの問題、どういう捜査をやっていたかということ。
あるいは、二つ目の問題として、一九九四年の六月二十七日、松本サリン事件が起きましたよね。あのときだって、警察は努力をされて、すぐにサリン残滓物というものを発見しているんですよ。だから、松本サリン事件についても、やはりオウムだろうということは九四年の十一月の段階でそう見られていた。
あるいは、三つ目、もう一つだけ挙げておきますけれども、九五年の一月四日に、オウムの被害者家族の会の永岡弘行さんがオウムの信者によってVXで殺されかけた。救急搬送されて重体になったんだけれども、病院がサリンを検出されなかったということで、当時の警視庁は農薬による自殺じゃないかという判断を下しているんですよね。
九四年の十一月には、実は、国松孝次、当時の長官を始めとして、オウムに対する一斉捜索をやろうと、九四年十一月ですよ、地下鉄サリン事件の何か月も前に一斉捜索をやろうと検討したんだけれども、時期尚早という結論を出してしまった。
だから、結論的に言えば、地下鉄サリン事件を食い止めることができたのではないかと私は思っているんだけれども、警察庁はどのような総括をされているでしょうか。
89松松田哲也警察庁長官官房審議官
お答えいたします。
お尋ねの点につきまして、地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教関連事件につきましては、閉鎖的な集団による計画的な犯罪で、組織的に証拠隠滅が図られるとともに、高度な科学技術が悪用されまして、全国規模の広範囲な区域にまたがっていたこと等から、当時の捜査には多くの困難があった中で、警察として、当時の証拠関係を踏まえ、可能な捜査を尽くしたものと認識しております。
以上でございます。
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有田芳生(立憲)
聞いているのは、地下鉄サリン事件を食い止めることができたのではないですかという問いなんです。お答えください。
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91松松田哲也警察庁長官官房審議官
お答えいたします。
お尋ねの点につきましては、特に上九一色村の教団施設に対する捜索がもっと早く行われていれば地下鉄サリン事件を防ぐことができたのではないかという御指摘かというふうに承知しておりますが、先ほどお答えしたとおり、一連のオウム真理教関連事件、非常に当時の捜査に多くの困難があった一方で、捜索につきましては、犯罪の嫌疑が存在するとともに、その必要性が認められる場合に裁判官から令状の発付を得て行うものであるところ、当時の判断として、地下鉄サリン事件の発生前に捜索までに至らなかったものと承知しております。
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