佐喜眞淳宜野湾市長

2026年7月3日・第221回国会 参議院 沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会 第6号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 52 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 83 発言)

ありがとうございます。

資料として私どもが提供したこういう冊子があると思います。そのページをお開きになっていただきたいのが、四ページ、これが宜野湾市の全体像でございまして、まさに町のど真ん中に普天間飛行場があり続けていると。

そのうち、次のページなり、その周辺には、国際大学あるいは普天間第二小学校を含め、宜野湾市には九つの小学校と四つの中学校、これは公立ですから、私立も含めるとそれ以上になりますが、中でも、八ページ、私どもの人口密度は五千六十三名・キロ平方メートルですけれども、これは当然基地を入れての人口密度ですから、基地には宜野湾市民住むことできませんので、その基地の面積を抜いた場合には七千百七十一名という、これ東京の人口密度も超えているんですけれども。

そういう意味では、狭隘な市の面積、なおかつ、交通渋滞など、計画的な町ができない。今住んでいる宜野湾市民の皆様方が物すごく不便を強いられているのが我々宜野湾市として一番の大きな課題であるし、そこの部分に対してしっかりと政府として支援をしてもらいたいというのが率直な意見になります。

基本的には、普天間飛行場というのは第二次世界大戦で米軍が接収した基地であります。ここのいわゆる約八五%は民有地、いわゆる地権者がいると。戦争で取られた施設、土地を、今提供施設として、国の安全保障上の中で重要な施設となっておりますけれども、三十年前に基地負担軽減の象徴であるということで返還が合意されて、もう既に三十年という重い年月を、市民は常に危険性と基地負担というものを強いられている。

少しでも解放できるような形で、是非先生方のお力も含めて、御理解も含めてですけれども、少しでも普通の町に近づけるようなそういう支援と、あるいは我々の要望について真摯に受け止めながら、前進できるような環境をつくっていただきたいと。

そういう意味では、今、後ろの方に、私どもは担当部、これ日本でも珍しいと思いますけど、基地政策部というのがあるんです。常に、飛行機やヘリが飛んだ場合に、市民やあるいは市外からの方々から騒音一一〇番という電話が来るんです。その電話を一々文字に起こしながら市長報告するんですね、何をしているんだ、なぜこんな遅い時間にジェット機が飛ぶんだ、ヘリが飛ぶんだと。そういう苦労を職員に与えているということも我々としては非常に残念であると。

ですから、何度も申し上げますけれども、やはりこういう三十年という節目の年に全体的に普天間飛行場の問題というものを共有していただきまして、普通の町、あるいは普通の暮らしができるような、そういうような市民の環境を是非整えていただきたいと。

三十年という歴史はもう戻ってきませんけれども、三十年後のある意味跡地も含めての未来というものをつくれるような、そういう明るい未来へと進めるように、国の力も、そして先生方のお力添え、御理解も賜りたいと思いますし、そういう意味では、常に連携をしながら行政運営をしていきたいと思いますから、引き続き、またよろしくお願いいたします。

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