日本保守党の北村晴男です。
大分論点が出尽くしているような感は持っております。
そこで、まず私は、先日、死刑制度に反対する立場からの委員からの質疑がありましたので、私の方からは、まず、再審制度との関係で、死刑制度を維持すべきとの立場から、再審請求中の死刑執行について質問いたします。前段がやや長くなりますが、御容赦ください。
まずは、死刑制度を維持すべきだという理由について申し上げます。
本質的理由は、究極の応報刑としての死刑の意義でございます。何の落ち度もないにもかかわらず無残に殺害されたなどする被害者にとって、人生を絶たれた無念さは察して余りあるものであります。大切な人を理不尽にも奪われた被害者遺族にとっても、耐え難い苦しみの中を耐え抜いておられ、その犯人に対して苛烈な応報感情を抱くのも当然であります。
しかし、法治国家日本においてはその極悪非道な犯罪者に復讐することは許されず、皆、その行き場のない感情にさいなまれておられます。そんな中、殺人などの犯行の中でも特別に犯情悪質なものについてだけは被害者本人や遺族に代わって国が死刑という形で決着を付けてくれる制度、これが整えられていること、すなわち死刑制度が存在すること、それ自体が、遺族にとっても、社会にとっても、ぎりぎり刑事司法制度を信頼する根拠となっているのであります。
これに対し、特にヨーロッパの先進国などから、死刑制度は非文明的であるとか、あるいは日本は人権を軽視しているなどと批判されることがありますが、不適切極まりないと考えています。
そもそも刑事司法実現の過程、すなわち捜査段階で警察官等に射殺されるなどする被疑者の数は、一年間で、フランスであれば三十人から四十人、ドイツであれば二十人から二十五人、ヨーロッパ全体では十三か国で二〇二〇年から二〇二三年、失礼、二〇二二年の三年間の平均は年百六十人以上、銃社会であるアメリカにおいては年間一千人前後であるのに対し、日本では毎年ゼロ名、ゼロから一名、多い年でせいぜい四名であります。
〔理事横山信一君退席、委員長着席〕
他方、日本で死刑が確定した人数を見ても、二〇二〇年には一人、二〇二一年には三人、二〇二二年には四人、二〇二三年には二人にすぎません。日本においては犯罪率が極めて低いことを考慮してもなお、日本と欧米でどちらが被疑者、被告人の人権により配慮しているか、一目瞭然でございます。
他方、死刑があることによる凶悪犯罪への抑止効果の有無については、これを正確に実証することは極めて困難です。ただ、かつて、凶悪な犯罪を行う少年の中に、自分たちは少年だから何をしても死刑にならないとうそぶいていた者が少なくなかったこと、これは事実であります。少なくとも、そうした少年が死刑に、死刑の抑止力を意識していたことは間違いないと考えます。
いずれにしても、死刑存置の理由を殺人などの凶悪犯罪に対する抑止力、抑止的効果のみに求めるのは、その本質を誤っているように思われます。先ほども申し上げたとおり、究極の応報刑としての死刑を最後の手段として残していることが、国民の刑事司法に対する信頼、復讐を許さない法治国家のシステムへの信頼、これを支える最後のとりでであると考えており、その点にこそ死刑制度の本質的意味があるものと考えています。
他方、死刑廃止論の方々が掲げる、冤罪被害者が死刑を執行されてしまえば取り返しが付かない、だから廃止すべきであるとの理由については、理論上は別問題であると考えていますが、しかし、一定の説得力があるものと考えています。我が国が死刑制度を維持する以上、そうした可能性をできる限りゼロに近づける努力、これをしなければならないことについては疑いがありません。また、そうすることが死刑制度の正当性を下支えすることにつながるものと考えています。
この点、参考となる裁判例があります。本年五月十三日の大阪高裁判決、これは資料でございます。再審請求の手続中に死刑が執行され、弁護権を侵害されたなどとして、元死刑囚の弁護人三名の方が国に賠償を求めた裁判の控訴審判決が出され、一審に続き、原告側の訴えを棄却する判決が言い渡されました。
原告の三人は、強盗殺人罪などで二〇〇四年に死刑が確定した元暴力団幹部の再審請求の弁護人であり、元死刑囚は第四次再審請求中だった二〇一八年十二月に死刑が執行されています。この判決では、およそ再審請求により死刑の執行が停止されるとすれば、再審請求が不断に繰り返されることによって死刑の執行が事実上永続的に不可能になるとして、再審請求中に死刑を執行するのは違憲、違法とする主張を不合理としました。当然の判断と思います。
他方、この判決は、再審請求中で再審開始決定がなされることが蓋然性をもって見込まれる状況にあるにもかかわらず死刑執行を命じた場合には、その権限を濫用したものとして、国賠法上違法となる余地があるとしました。再審開始がどの程度見込まれる場合に違法となるかは難しい判断と考えますが、基本的な方向性としてはこの判断は正当と考えます。
そこで、質問します。恐らく法務省は、これまでも、死刑執行に当たっては、記録を精査するなどして冤罪の疑いなど問題があるかどうかを判断した上で執行を指揮していたものと推測しています。そうであるにしても、運用のみで判断を行ってきた現状を改め、再審請求に理由がないことが明白な場合を除き、再審請求中の死刑執行については慎重な判断を必要とするなど、再審請求中の死刑執行について合理的な歯止めを掛ける規定を設けるべきと考えますが、法務省の見解をお聞かせください。
248佐佐藤淳法務省刑事局長
証拠の中身をよく分析、検討できるのが当事者であるというのはおっしゃるとおりだとまずは思っています。その上で、当事者にもそのような検討の機会は与えられなければならないというふうに思っているところでございます。
問題は、その証拠提出ないし開示の範囲について裁判所の判断がそのようなものとなるかどうかということでございまして、私どもとしては、その相当の広がりを持つということと、当然、再審請求人側もその証拠の提出命令の請求権を持っておりますし、その不服申立て権も持っておりますので、そういった裁判例が当然これから積み重ねられていくのだと理解していますけれども、そう…
この発言のページ
249
伊藤孝江(公明)
時間になっておりますので、おまとめください。
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250
仁比聡平(共産)
裁判官、検察官任せの政府案の提出命令、提示命令ではこれまでと変わらないと、もっと狭くなるかもしれないと、徹底審議が必要だと求めて、質問を終わります。
〔委員長退席、理事横山信一君着席〕
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- (上の発言)
251
北村晴男(保守)
日本保守党の北村晴男です。
大分論点が出尽くしているような感は持っております。
そこで、まず私は、先日、死刑制度に反対する立場からの委員からの質疑がありましたので、私の方からは、まず、再審制度との関係で、死刑制度を維持すべきとの立場から、再審請求中の死刑執行について質問いたします。前段がやや長くなりますが、御容赦ください。
まずは、死刑制度を維持すべきだという理由について申し上げます。
本質的理由は、究極の応報刑としての死刑の意義でございます。何の落ち度もないにもかかわらず無残に殺害されたなどする被害者にとって、人生を絶たれた無念さは察して余りあるものであります。大切な人を理不尽にも奪われた被害者遺族にとっても、耐え難い苦しみの中を耐え抜いておられ、その犯人に対して苛烈な応報感情を抱くのも当然であります。
しかし、法治国家日本においてはその極悪非道な犯罪者に復讐することは許されず、皆、その行き場のない感情にさいなまれておられます。そんな中、殺人などの犯行の中でも特別に犯情悪質なものについてだけは被害者本人や遺族に代わって国が死刑という形で決着を付けてくれる制度、これが整えられていること、すなわち死刑制度が存在すること、それ自体が、遺族にとっても、社会にとっても、ぎりぎり刑事司法制度を信頼する根拠となっているのであります。
これに対し、特にヨーロッパの先進国などから、死刑制度は非文明的であるとか、あるいは日本は人権を軽視しているなどと批判されることがありますが、不適切極まりないと考えています。
そもそも刑事司法実現の過程、すなわち捜査段階で警察官等に射殺されるなどする被疑者の数は、一年間で、フランスであれば三十人から四十人、ドイツであれば二十人から二十五人、ヨーロッパ全体では十三か国で二〇二〇年から二〇二三年、失礼、二〇二二年の三年間の平均は年百六十人以上、銃社会であるアメリカにおいては年間一千人前後であるのに対し、日本では毎年ゼロ名、ゼロから一名、多い年でせいぜい四名であります。
〔理事横山信一君退席、委員長着席〕
他方、日本で死刑が確定した人数を見ても、二〇二〇年には一人、二〇二一年には三人、二〇二二年には四人、二〇二三年には二人にすぎません。日本においては犯罪率が極めて低いことを考慮してもなお、日本と欧米でどちらが被疑者、被告人の人権により配慮しているか、一目瞭然でございます。
他方、死刑があることによる凶悪犯罪への抑止効果の有無については、これを正確に実証することは極めて困難です。ただ、かつて、凶悪な犯罪を行う少年の中に、自分たちは少年だから何をしても死刑にならないとうそぶいていた者が少なくなかったこと、これは事実であります。少なくとも、そうした少年が死刑に、死刑の抑止力を意識していたことは間違いないと考えます。
いずれにしても、死刑存置の理由を殺人などの凶悪犯罪に対する抑止力、抑止的効果のみに求めるのは、その本質を誤っているように思われます。先ほども申し上げたとおり、究極の応報刑としての死刑を最後の手段として残していることが、国民の刑事司法に対する信頼、復讐を許さない法治国家のシステムへの信頼、これを支える最後のとりでであると考えており、その点にこそ死刑制度の本質的意味があるものと考えています。
他方、死刑廃止論の方々が掲げる、冤罪被害者が死刑を執行されてしまえば取り返しが付かない、だから廃止すべきであるとの理由については、理論上は別問題であると考えていますが、しかし、一定の説得力があるものと考えています。我が国が死刑制度を維持する以上、そうした可能性をできる限りゼロに近づける努力、これをしなければならないことについては疑いがありません。また、そうすることが死刑制度の正当性を下支えすることにつながるものと考えています。
この点、参考となる裁判例があります。本年五月十三日の大阪高裁判決、これは資料でございます。再審請求の手続中に死刑が執行され、弁護権を侵害されたなどとして、元死刑囚の弁護人三名の方が国に賠償を求めた裁判の控訴審判決が出され、一審に続き、原告側の訴えを棄却する判決が言い渡されました。
原告の三人は、強盗殺人罪などで二〇〇四年に死刑が確定した元暴力団幹部の再審請求の弁護人であり、元死刑囚は第四次再審請求中だった二〇一八年十二月に死刑が執行されています。この判決では、およそ再審請求により死刑の執行が停止されるとすれば、再審請求が不断に繰り返されることによって死刑の執行が事実上永続的に不可能になるとして、再審請求中に死刑を執行するのは違憲、違法とする主張を不合理としました。当然の判断と思います。
他方、この判決は、再審請求中で再審開始決定がなされることが蓋然性をもって見込まれる状況にあるにもかかわらず死刑執行を命じた場合には、その権限を濫用したものとして、国賠法上違法となる余地があるとしました。再審開始がどの程度見込まれる場合に違法となるかは難しい判断と考えますが、基本的な方向性としてはこの判断は正当と考えます。
そこで、質問します。恐らく法務省は、これまでも、死刑執行に当たっては、記録を精査するなどして冤罪の疑いなど問題があるかどうかを判断した上で執行を指揮していたものと推測しています。そうであるにしても、運用のみで判断を行ってきた現状を改め、再審請求に理由がないことが明白な場合を除き、再審請求中の死刑執行については慎重な判断を必要とするなど、再審請求中の死刑執行について合理的な歯止めを掛ける規定を設けるべきと考えますが、法務省の見解をお聞かせください。
252佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
一般論として申し上げれば、死刑の執行に関しましては、個々の事案ごとに関係記録を十分に精査し、刑の執行停止の事由や再審開始事由の有無などについて慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に初めて死刑執行命令を発することとされてきたものと承知しているところでございます。
他方で、仮に御指摘のような制度とした場合には、例えば再審請求をしただけでそうなるということになれば、死刑確定者が一応の形さえ整えて再審請求を繰り返せば永久に死刑を執行できないこととなりかねず、刑事裁判の実現を期すことが極めて困難になると考えております。したがいまし…
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253
北村晴男(保守)
先ほど質疑の中でスクリーニングについて議論があった際、この法案の四百四十四条の二の二項一号のハですかね、これが主張自体失当を指しているかどうかというお話がありました。今のお話は、主張自体失当の場合でも、失礼、このときに、法案審議の前段階では、理由がないことが明らかなときにはスクリーニングをするという審理過程があって、それが結果として落ちたというお話がありました。
私がさっき申し上げたのは、一応の形式が整えられれば必ず執行を停止すべきであるという提案をしたのではありません。なので、今の御答弁は、言わばストローマン論法といいますか、私が言ったことと違うもの…
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254佐佐藤淳法務省刑事局長
お答えいたします。
やはり、死刑の執行に関しましては、個々の事案ごとに関係記録を十分に精査し、刑の執行停止の事由や再審開始事由の有無などについて慎重に検討して、これらの事由等がないと認めた場合、初めて死刑執行命令を発することとされてきたものと承知しているところでございます。
その上で、今御指摘のような、済みません、先ほどの言いようが不適切だったことはおわびいたしますけれども、そのような例えば死刑の執行に要件を付するといったことにつきましては、その要件をどのように規定するのか、どのように判断するのか、誰が判断するのか、そういった論点も生じるということと…
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