永久保存ということで理解しました。
私も、法務大臣官房司法法制調査部が昭和四十八年三月に作成した、この戦争犯罪裁判概史第二十冊という、これね、国立公文書館にありましたので読んでみました。そうしたら、例えばこんなことが書いてありまして、かくのごとくして、戦争犯罪裁判に関する国際法が成立しているかのごとく認めている向きもないではないが、たとい、一応裁判の形式こそ取られたにせよ、その実質を見れば種々の疑念を生じせしめたことから、戦争の勝者側が一方的に敗者側を裁くということ自体、裁判の公正を疑わしめるとして、この裁判に対する非難もまた極めて大きいのであると、これ二ページ。これ、法務省の文書でございます。
こうやって思いが噴出している部分もあれば、また、最後のところ、この事業を終わるに当たって、切にこいねがうところは、今後、これらの資料を補正、整備するとともに、死蔵することなく、平和日本の再建と世界平和、国際親善等々の面に活用されたいということであると、八十一ページと、こう書かれてありまして、そのあと残された課題として、東京裁判公判記録の刊行など、この収集資料がちゃんと後世に平和のために活用されるようにということは、法務省自身が求めていたことでありました。
東京裁判は、連合国が我が国に対して行った軍事裁判でありまして、昭和二十一年五月三日から昭和二十三年十一月十二日まで、判決が出されて、十二月二十三日に刑が執行されました。
この裁判は、いろいろ言われますけれども、法務省が、今述べたように、戦勝国による一方的な裁判であり、また、後から犯罪、刑罰をつくり出して事後法によって処罰したということで、近代法の原則にも反する上、人違いや伝聞など不十分な証拠によって判断されたものも少なくないと言われております。
昭和三十五年、愛知県西尾市三ケ根山においては、東京裁判の弁護人を務めた三文字正平氏ら弁護士や地元の県議、幡豆町長を始め、関係者の尽力により殉国七士廟が建立され、現在に至るまで毎年慰霊祭が行われておるということであります。
昭和三十七年に日弁連会長となった林逸郎弁護士は、この東京裁判の弁護人として殉国七士廟の建設に関わり、昭和三十五年に出版した著書の中で、あの戦争は、日本が不当な侵略戦争を不意に仕掛けたものではなく、アメリカを主軸とする各対戦国が多年にわたって日本に圧迫を加えてきた結果、その圧迫に耐えかねてやむなく防衛のために立ち上がったものである、日本だけが勝手に起こした侵略戦争であるかのごとき逆宣伝したのを信じている内外人の目を開き、戦争の起こった本当の原因を究明して、永久平和の確立のために少しでも寄与したいからであると、こういったことを述べておられます。
法務省も、この十八年間にわたって資料収集を行い、本当に、見ますと、調取書をたくさん作っているんですね。例えば、そのA級戦犯とされた荒木貞夫男爵のおうちに五回も行きまして調取書を作ったり、これ法務省の職員の方が作られたり、先ほど、林逸郎弁護士の方からも、法務省の調査部参与といった方が調取書をまとめていて、資料の総数が六千三件、関係者のヒアリング約七百人ということで、かなり一生懸命されたようなんです。
何でここまで当時の法務省が一生懸命することができたのかということは、ちょっとやっぱり考えてみたいと思うんですね。また、何でこの資料を死蔵させず平和のために活用してほしいと法務省は思ったかなんです。
これは、ちょっと時間もないので、私の感想なんですけれども、私は、この東京裁判や戦争裁判を通じて日本の冤罪の苦しみを知ったんではないかと思うんですよね。今、再審法の改正が行われていますけど、やはり冤罪事件というのは、本当に何十年にもわたって資料を集めて、で、再審請求を行っているのも、真実解明を求める気持ちからだと思うんですね。
そこで、法務省にお尋ねしますが、法務省は現時点で収集した資料の出版、今後の活用についてどのように考えていますか。また、東京裁判について分かりやすく解説したウェブサイトをつくって後世に残すなど、こういった取組についてはどのように考えておられますか。
109
伊藤孝江(公明)
ただいまの件につきましては、後刻理事会において協議をいたします。
この発言のページ
110安安達悠司(参政)
ということで、私せっかく法務省がいいことをしていると思っているわけなんですけれども、それがその当時の司法法制、大臣官房ですね、司法法制調査部が行って、そのまま司法法制部が引き継いでいるはずなんですけど、それをお答えできないというのは大変残念なことです。
また、今の戦争裁判の様々な記録に関して、国立公文書館に移管されましたが、この文書の保管期限はいつまでですか。また、国立公文書館、建て替えが予定されていますが、建て替えによって記録管理の方法が変わるのですか、お答えください。
この発言のページ
111後後藤一也内閣府大臣官房審議官
お答えいたします。
戦争犯罪裁判関係資料につきましては、平成十一年度に法務省から国立公文書館に移管されたものと承知しております。
公文書管理法上、国立公文書館等の長は、各行政機関から移管された行政文書につきまして、原則として永久に保存しなければならないとされていることから、法務省から移管された戦争犯罪裁判関係資料につきましても同様の扱いというふうになります。
現在、新たな国立公文書館の建設工事を進めているところ、新館開館後におきましても、これまでと同様、公文書管理法に基づきまして、各行政機関から移管された行政文書につきまして適切に保存してまいりたい…
この発言のページ
- (上の発言)
112安安達悠司(参政)
永久保存ということで理解しました。
私も、法務大臣官房司法法制調査部が昭和四十八年三月に作成した、この戦争犯罪裁判概史第二十冊という、これね、国立公文書館にありましたので読んでみました。そうしたら、例えばこんなことが書いてありまして、かくのごとくして、戦争犯罪裁判に関する国際法が成立しているかのごとく認めている向きもないではないが、たとい、一応裁判の形式こそ取られたにせよ、その実質を見れば種々の疑念を生じせしめたことから、戦争の勝者側が一方的に敗者側を裁くということ自体、裁判の公正を疑わしめるとして、この裁判に対する非難もまた極めて大きいのであると、これ二ページ。これ、法務省の文書でございます。
こうやって思いが噴出している部分もあれば、また、最後のところ、この事業を終わるに当たって、切にこいねがうところは、今後、これらの資料を補正、整備するとともに、死蔵することなく、平和日本の再建と世界平和、国際親善等々の面に活用されたいということであると、八十一ページと、こう書かれてありまして、そのあと残された課題として、東京裁判公判記録の刊行など、この収集資料がちゃんと後世に平和のために活用されるようにということは、法務省自身が求めていたことでありました。
東京裁判は、連合国が我が国に対して行った軍事裁判でありまして、昭和二十一年五月三日から昭和二十三年十一月十二日まで、判決が出されて、十二月二十三日に刑が執行されました。
この裁判は、いろいろ言われますけれども、法務省が、今述べたように、戦勝国による一方的な裁判であり、また、後から犯罪、刑罰をつくり出して事後法によって処罰したということで、近代法の原則にも反する上、人違いや伝聞など不十分な証拠によって判断されたものも少なくないと言われております。
昭和三十五年、愛知県西尾市三ケ根山においては、東京裁判の弁護人を務めた三文字正平氏ら弁護士や地元の県議、幡豆町長を始め、関係者の尽力により殉国七士廟が建立され、現在に至るまで毎年慰霊祭が行われておるということであります。
昭和三十七年に日弁連会長となった林逸郎弁護士は、この東京裁判の弁護人として殉国七士廟の建設に関わり、昭和三十五年に出版した著書の中で、あの戦争は、日本が不当な侵略戦争を不意に仕掛けたものではなく、アメリカを主軸とする各対戦国が多年にわたって日本に圧迫を加えてきた結果、その圧迫に耐えかねてやむなく防衛のために立ち上がったものである、日本だけが勝手に起こした侵略戦争であるかのごとき逆宣伝したのを信じている内外人の目を開き、戦争の起こった本当の原因を究明して、永久平和の確立のために少しでも寄与したいからであると、こういったことを述べておられます。
法務省も、この十八年間にわたって資料収集を行い、本当に、見ますと、調取書をたくさん作っているんですね。例えば、そのA級戦犯とされた荒木貞夫男爵のおうちに五回も行きまして調取書を作ったり、これ法務省の職員の方が作られたり、先ほど、林逸郎弁護士の方からも、法務省の調査部参与といった方が調取書をまとめていて、資料の総数が六千三件、関係者のヒアリング約七百人ということで、かなり一生懸命されたようなんです。
何でここまで当時の法務省が一生懸命することができたのかということは、ちょっとやっぱり考えてみたいと思うんですね。また、何でこの資料を死蔵させず平和のために活用してほしいと法務省は思ったかなんです。
これは、ちょっと時間もないので、私の感想なんですけれども、私は、この東京裁判や戦争裁判を通じて日本の冤罪の苦しみを知ったんではないかと思うんですよね。今、再審法の改正が行われていますけど、やはり冤罪事件というのは、本当に何十年にもわたって資料を集めて、で、再審請求を行っているのも、真実解明を求める気持ちからだと思うんですね。
そこで、法務省にお尋ねしますが、法務省は現時点で収集した資料の出版、今後の活用についてどのように考えていますか。また、東京裁判について分かりやすく解説したウェブサイトをつくって後世に残すなど、こういった取組についてはどのように考えておられますか。
113内内野宗揮法務省大臣官房司法法制部長
先ほど申し上げましたとおり、現在では当時の資料を国立公文書館に移管をしておるところでございます。なお、国立公文書館では、当該資料等の利用を希望される方には、個人のプライバシーなどを考慮しながら、公開の有無、是非を判断されておられるというふうにお聞きをしております。
したがいまして、法務省といたしましては、現在、御示唆のような収集した資料の出版等を行う、そういう予定を有しているものではございません。
この発言のページ
114安安達悠司(参政)
今こういうふうな気持ちになれないのも、やはり私は教育が問題だと思っているんですね。当時の人は、自ら裁判された方のお知り合いだったり、いろんな方がいたわけですけど、しかも東京裁判の重大な欠点は、再審がないんですね。上訴もありませんしね。そういったこともありません。ですから、このような裁判では本当に平和を維持することはできないと先人たちも気付いたんではないかと思うんですね。
ただ、防衛省の方で、市ケ谷台にある東京裁判の法廷として使われた講堂、これを展示公開されています。この展示公開の目的や内容、近年の来場者数についてお尋ねいたします。
この発言のページ
115小小野功雄防衛省大臣官房長
お答えします。
市ケ谷記念館の大講堂等、こちら旧陸軍士官学校本部、それから旧陸軍省、参謀本部、それから極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判でございますが、これの法廷として使用された様々な歴史を有しておりまして、市ケ谷台の歴史的事実を後世の世代に伝える観点から各種展示物を納めて見学者に公開をしております。
大講堂内の展示物につきましては、市ケ谷台の歩みと題する市ケ谷台の歴史をまとめた映像を公開し、東京裁判の様子などを紹介しているほか、東京裁判に関する当時の写真や本裁判で使用された地図などを所有者から寄贈いただきまして、市ケ谷台の歴史にまつわる貴重な品々を…
この発言のページ