安達悠司 (参政党)

2026年5月14日・第221回国会 参議院 法務委員会 第8号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 112 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 148 発言)

永久保存ということで理解しました。

私も、法務大臣官房司法法制調査部が昭和四十八年三月に作成した、この戦争犯罪裁判概史第二十冊という、これね、国立公文書館にありましたので読んでみました。そうしたら、例えばこんなことが書いてありまして、かくのごとくして、戦争犯罪裁判に関する国際法が成立しているかのごとく認めている向きもないではないが、たとい、一応裁判の形式こそ取られたにせよ、その実質を見れば種々の疑念を生じせしめたことから、戦争の勝者側が一方的に敗者側を裁くということ自体、裁判の公正を疑わしめるとして、この裁判に対する非難もまた極めて大きいのであると、これ二ページ。これ、法務省の文書でございます。

こうやって思いが噴出している部分もあれば、また、最後のところ、この事業を終わるに当たって、切にこいねがうところは、今後、これらの資料を補正、整備するとともに、死蔵することなく、平和日本の再建と世界平和、国際親善等々の面に活用されたいということであると、八十一ページと、こう書かれてありまして、そのあと残された課題として、東京裁判公判記録の刊行など、この収集資料がちゃんと後世に平和のために活用されるようにということは、法務省自身が求めていたことでありました。

東京裁判は、連合国が我が国に対して行った軍事裁判でありまして、昭和二十一年五月三日から昭和二十三年十一月十二日まで、判決が出されて、十二月二十三日に刑が執行されました。

この裁判は、いろいろ言われますけれども、法務省が、今述べたように、戦勝国による一方的な裁判であり、また、後から犯罪、刑罰をつくり出して事後法によって処罰したということで、近代法の原則にも反する上、人違いや伝聞など不十分な証拠によって判断されたものも少なくないと言われております。

昭和三十五年、愛知県西尾市三ケ根山においては、東京裁判の弁護人を務めた三文字正平氏ら弁護士や地元の県議、幡豆町長を始め、関係者の尽力により殉国七士廟が建立され、現在に至るまで毎年慰霊祭が行われておるということであります。

昭和三十七年に日弁連会長となった林逸郎弁護士は、この東京裁判の弁護人として殉国七士廟の建設に関わり、昭和三十五年に出版した著書の中で、あの戦争は、日本が不当な侵略戦争を不意に仕掛けたものではなく、アメリカを主軸とする各対戦国が多年にわたって日本に圧迫を加えてきた結果、その圧迫に耐えかねてやむなく防衛のために立ち上がったものである、日本だけが勝手に起こした侵略戦争であるかのごとき逆宣伝したのを信じている内外人の目を開き、戦争の起こった本当の原因を究明して、永久平和の確立のために少しでも寄与したいからであると、こういったことを述べておられます。

法務省も、この十八年間にわたって資料収集を行い、本当に、見ますと、調取書をたくさん作っているんですね。例えば、そのA級戦犯とされた荒木貞夫男爵のおうちに五回も行きまして調取書を作ったり、これ法務省の職員の方が作られたり、先ほど、林逸郎弁護士の方からも、法務省の調査部参与といった方が調取書をまとめていて、資料の総数が六千三件、関係者のヒアリング約七百人ということで、かなり一生懸命されたようなんです。

何でここまで当時の法務省が一生懸命することができたのかということは、ちょっとやっぱり考えてみたいと思うんですね。また、何でこの資料を死蔵させず平和のために活用してほしいと法務省は思ったかなんです。

これは、ちょっと時間もないので、私の感想なんですけれども、私は、この東京裁判や戦争裁判を通じて日本の冤罪の苦しみを知ったんではないかと思うんですよね。今、再審法の改正が行われていますけど、やはり冤罪事件というのは、本当に何十年にもわたって資料を集めて、で、再審請求を行っているのも、真実解明を求める気持ちからだと思うんですね。

そこで、法務省にお尋ねしますが、法務省は現時点で収集した資料の出版、今後の活用についてどのように考えていますか。また、東京裁判について分かりやすく解説したウェブサイトをつくって後世に残すなど、こういった取組についてはどのように考えておられますか。

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