金子道仁 (日本維新の会)

2026年3月31日・第221回国会 参議院 文教科学委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 134 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 193 発言)

今お答えいただいて、前日のレクでこの資料の二を私もいただきまして、実際に学習場面でこのような利活用の事例がありますということで、小学校、中学校、高校でのAIを使った学習活動の事例を見させていただきました。

一問質問後に回させていただいて、三、問い三のところに進みたいと思いますが、AIを使う場面としてこのような事例は挙がっていますけれども、これ、ここでAIを使えばいいという単純な話ではないと私自身は思うんですね。

例えば、中学校で英語でAIを使うと。作成した英作文をAIに直接入力したり、音声入力したりとありますけれども、生徒によっては、日本語をぱちぱちといってAIに入れて英作文を出して、先生できましたと、英語を考えないツールとしてAIを使うことだって、この場面でもできるわけです。例えば、中学校の、この左下の、話合いで問題を検討する。先ほど、AIから新しい視点を出してもらう、これは大事なことだと思います。

でも、私も先日、ある小学校に調べ物学習の場面でAIを使っている子供の事例見ましたが、エアコンの歴史を調べなさいと先生に言われて、エアコン、歴史ってグーグルで出して、出てきたやつをAIにぶっ込んで、小学校らしくみたいな感じで出すと、ぽんと出てくるわけです。それを、先生できましたと言って出したら、あっ、先生、よくできたねってやってしまっては何の学習にもならないわけです。

ある保護者からは、持ち帰りのタブレットでAIを使って宿題をやってしまって困りますと。AIに宿題を入れて、出してきたやつを提出すればそれで宿題が終わってしまう、そんな使い方だって、子供たち、賢いというか、技術をしっかり使うわけですから、そういう場面も当然想定されるわけです。

AIを活用するということで、思考を飛ばす、コピーペーストのような、生徒の思考を省くような不適切な使用の可能性十分あると思うんですが、こういう場面場面というよりも、AIを使うフィロソフィーというんでしょうか、使用すべきである、使用すべきでないという区分を早急に検討すべきだと思いますが、参考人の御意見伺います。

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