尾辻朋実 (チームみらい)

2026年5月21日・第221回国会 参議院 環境委員会 第8号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 101 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 124 発言)

大臣、私、本日の質問に立つに当たりまして、少なくとも今年に入ってから水俣病関係で質問がなされた衆参全ての委員会の質問を読んでまいりました。その中で、十五日の衆議院の環境委員会で、先ほど申し上げましたとおり、私、鹿児島県選出でありますけれども、同郷の野間健委員の質問で引用された、当時鹿児島大学の医学部に在席しておられた井形教授のインタビューも拝読してまいりました。

昭和五十二年、私生まれておりませんけれども、したがって、それが真実、本当の、そのときの現実と合っているかどうかは分かりません。しかしながら、これまで質問を重ね、質問の準備を重ねてきた中で私が思ってきたことと併せ鑑みますに、大変率直なところをお述べになっておられるんだというふうに感じました。

教授がおっしゃっておられるのは、教授も、本当に患者の掘り起こし検診まで行われて、ずっと救済一本やりで来られたと。しかし、昭和四十六年辺りから、だんだん症状が初期に想定していたよりもかなり多岐にわたってきて、そして遅発性の問題、当初はもう一年以内にしか絶対発症しないと言っていたんですけれども、遅れてしびれが出てくるような方たちの声が届くようになって、それで、専門家ですけれども、分からなくなった、昭和四十六年頃から分からなくなったとおっしゃっているんです。専門家としても判断ができなくなった、このようにインタビューで答えておられます。

昭和三十一年に水俣病が公式発見されて、そしてまさに大臣のお父上である環境庁長官が、時の環境庁の反対を押し切って現地視察に行かれました。そのときの映像に、かなり劇症型の患者さんの様子映っていらっしゃいます。

それから、本当に相対的にでございますけれども、相対的に劇症からだんだんと軽重があって、症状が軽くなっていく、そしてその症状も広がっていって多岐にわたる。そうすると、裾野がどこまでの被害なのかが分からない。私は、この分からないということも国の責任だと思うんです。なぜなら、国は調査をいたしませんでした。発生した直後に、どこまで被害が広がっているか、裾野の調査をちゃんとしていれば、今日こんなことにはなっていない。私は、これも国の責任だと考えて、今日質問に立たせていただいております。ですから、今ようやく重い腰を上げていただいております健康調査、これは遅きに失したとしてもなお重要なものなんだと、この指摘もしながら質問を続けさせていただきます。

それで、時間が限られておりますので途中飛ばしますけれども、今申し上げましたとおり、非常に劇症型の方からだんだんと症状が多岐にわたっていって、裾野に行くにつれて難しくなってくる。その中で、物すごく劇症型の方たちは、水俣病患者として一定の基準を引かれました。そして、その次に、水俣病被害者としてもう一度線を引かれました。これは救済の都合上必要な線ですので、一定の線引きは、それは役所として当然のことだと思いますけれども、その基準の中身が総合的な判断とおっしゃられるんです。であるからこそ、最高裁は否定していないとか、私が細かい点ついていくと、委員御指摘の点は総合的に判断しておりましてというようなことがずっとおっしゃられる。そうすると、私から言わせていただければ、総合的な判断なんというものは恣意的な判断であって、どんなところにでも線が引けるじゃないかと、そんな話にもなりたくなるんです。ですので、曖昧な基準によって余りにも厳格な運用がなされてきたんじゃないかと、これが私の今日の一点目の指摘であります。

そして、今日は消費者庁にも来ていただきましたので、次の質問に移らせていただきます。

メチル水銀に関する人への国際的なリスク評価が見直されたとお聞きをしております。かかる評価の主体である国際機関の名称及びその変わったという具体的な内容、あわせて、それを受けてなされた国内通知と通知に至った理由をお答えください。

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