初めに、今朝発災いたしました青森県を中心とする地震の被害に遭われた北海道、東北地方の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
ただいま、院議をもって永年在職表彰を賜りました。議会人として大変光栄に存じ、心より厚く御礼申し上げます。
地元の皆様、後援会の皆様、党の仲間や先輩諸君、特に、国政に携わってきました皆様、事務所スタッフ、そして、何より家族。振り返れば、本当に多くの方々のお支えがあって今日まで歩んでまいりました。改めて、心から感謝申し上げます。(拍手)
私は、宮城県気仙沼市の小さな旅館の息子として生まれました。気仙沼は水産の町です。浜が魚の大漁に沸くと、町はにぎわい、旅館も繁盛。子供の頃は、漁船が沖へ向かう姿を岸壁から眺めるのが楽しみでした。
私が政治を初めて意識したのは高校時代です。郷里気仙沼に、当時内閣総理大臣であった鈴木善幸先生がお見えになり、お会いする機会をいただきました。地方の一高校生だった私にとって、この陸の孤島と言われた三陸の地から総理大臣が誕生したことは、大きな喜び、驚きでありました。鈴木総理と握手をしていただいたときの緊張と高揚感は、今でも鮮明に覚えております。
憧れもあり、私は、鈴木総理の母校であります東京水産大学に進み、卒業後は水産資源の調査研究に携わりました。しかし、当時は、二百海里規制により日本漁船が世界の海から締め出され続けた時代でありました。郷里の気仙沼においても、町のにぎわいが失われ、家業が倒産し、気仙沼を離れていく同級生の姿も多くありました。
命を懸けて魚を捕り、家族や地域を支えている人たちが、国の政策や外交によって苦しい立場に置かれている。額に汗して真面目に働く人が報われない現実。この経験が、私が政治を志す原点となりました。
その後、三十七歳で国政に送り出していただきましたが、私の政治人生は決して順風満帆ではありませんでした。初盆に、線香を手に地域を歩き、お世話になった方々のお宅を訪ねて回りました。感謝の思いではありましたが、このことが公職選挙法違反に問われ、私は、その責任を取り、議員辞職という判断をいたしました。応援してくださった皆様への申し訳なさは、今でも忘れることができません。
辞職後は、再就職もままならず、アルバイトなどで過ごす日々が続きました。自分にはもう政治に携わる資格がない、そう思いながら塞ぎ込んだ日々を過ごしていたところ、同級生からこんな声をかけられました。五典、おまえは政治を諦めたのか、何でおまえは政治を志したんだ。そして同時に、私の弟と元秘書が、魚の行商をしながらかつての後援者を回り、私の再起のために頭を下げていることを知りました。
もう一度だけ挑戦しよう、そう思いましたが、既に後援会はなく、当然マスコミの評価も厳しい。有権者の皆さんからのお叱りも覚悟しておりました。ところが、選挙が始まり選挙カーを走らせると、多くの皆さんが手を振り返してくれました。涙を浮かべて励ましてくれた方、中には、選挙カーを追いかけ転んでサンダルが脱げてもはだしで駆け寄ってくる方もおりました。その姿に接するたび、私は何度も救われました。地元の皆さんは、私を見放すことなく、もう一度挑戦する機会を与えてくれました。今日こうして国政の場で仕事をさせていただけるのは、あのとき支えてくださった皆さんのおかげです。
今でも、朝、議員バッジをつけるたびに、思い出す言葉があります。初当選のとき、加藤紘一先生からいただいた言葉です。五典君、この議員バッジの裏にはたくさんの細い線がついている、その一本一本が地元の皆さん一人一人につながっている、議員バッジは地元の皆さんの声を国政に届けるための集音マイクなんだ。私は、今でもその言葉を大切にしております。
そして、忘れることができないのは東日本大震災です。ふるさと気仙沼も、未曽有の被害を受けました。そこで目にしたのは、深い悲しみの中にあっても、互いを支え合い、前を向こうとする人々の姿でした。苦しい中でも誰かを気遣う心を忘れない人がいる、自ら被災しながら周囲を励ます人がいる。その姿に接するたびに、私自身が励まされ、政治の果たすべき役割を改めて考えさせられました。そして、地域を守り、この国を守り、人々の暮らしを守り抜かなければならない、その使命を改めて胸に刻みました。
その後、防衛や外交を始め様々な分野で仕事をさせていただきました。政治とは、困難な課題から逃げず、人々の暮らしを守り、この国の将来に責任を果たすこと、平和で安全な日本を次の時代へ引き継ぐこと、その思いを胸に今まで歩んでまいりました。
私の座右の銘は「一隅を照らす」であります。振り返れば、鈴木善幸先生との出会いも、加藤紘一先生からいただいた御指導も、地元の皆さんからいただいた励ましも、震災の中で出会った多くの方々の姿も、私の歩む道を照らしてくださいました。
本日、永年在職表彰という節目を迎え、改めて思うことがあります。私が政治を志した原点は、額に汗して真面目に働く人が報われる社会をつくること。そのことを忘れず、これからも、一つ一つの仕事に誠実に向き合ってまいります。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)
――――◇―――――
日程第一 電気事業法の一部を改正する法律案(内閣提出)
2
森英介議長
お諮りいたします。
本院議員として在職二十五年に達せられました小野寺五典君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。
表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言のページ
3
森英介議長
御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
表彰文を朗読いたします。
議員小野寺五典君は衆議院議員に当選すること十回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
この贈呈方は議長において取り計らいます。
―――――――――――――
この発言のページ
4
森英介議長
この際、小野寺五典君から発言を求められております。これを許します。小野寺五典君。
〔小野寺五典君登壇〕
この発言のページ
- (上の発言)
5
小野寺五典(自民)
初めに、今朝発災いたしました青森県を中心とする地震の被害に遭われた北海道、東北地方の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
ただいま、院議をもって永年在職表彰を賜りました。議会人として大変光栄に存じ、心より厚く御礼申し上げます。
地元の皆様、後援会の皆様、党の仲間や先輩諸君、特に、国政に携わってきました皆様、事務所スタッフ、そして、何より家族。振り返れば、本当に多くの方々のお支えがあって今日まで歩んでまいりました。改めて、心から感謝申し上げます。(拍手)
私は、宮城県気仙沼市の小さな旅館の息子として生まれました。気仙沼は水産の町です。浜が魚の大漁に沸くと、町はにぎわい、旅館も繁盛。子供の頃は、漁船が沖へ向かう姿を岸壁から眺めるのが楽しみでした。
私が政治を初めて意識したのは高校時代です。郷里気仙沼に、当時内閣総理大臣であった鈴木善幸先生がお見えになり、お会いする機会をいただきました。地方の一高校生だった私にとって、この陸の孤島と言われた三陸の地から総理大臣が誕生したことは、大きな喜び、驚きでありました。鈴木総理と握手をしていただいたときの緊張と高揚感は、今でも鮮明に覚えております。
憧れもあり、私は、鈴木総理の母校であります東京水産大学に進み、卒業後は水産資源の調査研究に携わりました。しかし、当時は、二百海里規制により日本漁船が世界の海から締め出され続けた時代でありました。郷里の気仙沼においても、町のにぎわいが失われ、家業が倒産し、気仙沼を離れていく同級生の姿も多くありました。
命を懸けて魚を捕り、家族や地域を支えている人たちが、国の政策や外交によって苦しい立場に置かれている。額に汗して真面目に働く人が報われない現実。この経験が、私が政治を志す原点となりました。
その後、三十七歳で国政に送り出していただきましたが、私の政治人生は決して順風満帆ではありませんでした。初盆に、線香を手に地域を歩き、お世話になった方々のお宅を訪ねて回りました。感謝の思いではありましたが、このことが公職選挙法違反に問われ、私は、その責任を取り、議員辞職という判断をいたしました。応援してくださった皆様への申し訳なさは、今でも忘れることができません。
辞職後は、再就職もままならず、アルバイトなどで過ごす日々が続きました。自分にはもう政治に携わる資格がない、そう思いながら塞ぎ込んだ日々を過ごしていたところ、同級生からこんな声をかけられました。五典、おまえは政治を諦めたのか、何でおまえは政治を志したんだ。そして同時に、私の弟と元秘書が、魚の行商をしながらかつての後援者を回り、私の再起のために頭を下げていることを知りました。
もう一度だけ挑戦しよう、そう思いましたが、既に後援会はなく、当然マスコミの評価も厳しい。有権者の皆さんからのお叱りも覚悟しておりました。ところが、選挙が始まり選挙カーを走らせると、多くの皆さんが手を振り返してくれました。涙を浮かべて励ましてくれた方、中には、選挙カーを追いかけ転んでサンダルが脱げてもはだしで駆け寄ってくる方もおりました。その姿に接するたび、私は何度も救われました。地元の皆さんは、私を見放すことなく、もう一度挑戦する機会を与えてくれました。今日こうして国政の場で仕事をさせていただけるのは、あのとき支えてくださった皆さんのおかげです。
今でも、朝、議員バッジをつけるたびに、思い出す言葉があります。初当選のとき、加藤紘一先生からいただいた言葉です。五典君、この議員バッジの裏にはたくさんの細い線がついている、その一本一本が地元の皆さん一人一人につながっている、議員バッジは地元の皆さんの声を国政に届けるための集音マイクなんだ。私は、今でもその言葉を大切にしております。
そして、忘れることができないのは東日本大震災です。ふるさと気仙沼も、未曽有の被害を受けました。そこで目にしたのは、深い悲しみの中にあっても、互いを支え合い、前を向こうとする人々の姿でした。苦しい中でも誰かを気遣う心を忘れない人がいる、自ら被災しながら周囲を励ます人がいる。その姿に接するたびに、私自身が励まされ、政治の果たすべき役割を改めて考えさせられました。そして、地域を守り、この国を守り、人々の暮らしを守り抜かなければならない、その使命を改めて胸に刻みました。
その後、防衛や外交を始め様々な分野で仕事をさせていただきました。政治とは、困難な課題から逃げず、人々の暮らしを守り、この国の将来に責任を果たすこと、平和で安全な日本を次の時代へ引き継ぐこと、その思いを胸に今まで歩んでまいりました。
私の座右の銘は「一隅を照らす」であります。振り返れば、鈴木善幸先生との出会いも、加藤紘一先生からいただいた御指導も、地元の皆さんからいただいた励ましも、震災の中で出会った多くの方々の姿も、私の歩む道を照らしてくださいました。
本日、永年在職表彰という節目を迎え、改めて思うことがあります。私が政治を志した原点は、額に汗して真面目に働く人が報われる社会をつくること。そのことを忘れず、これからも、一つ一つの仕事に誠実に向き合ってまいります。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)
――――◇―――――
日程第一 電気事業法の一部を改正する法律案(内閣提出)
6
森英介議長
日程第一、電気事業法の一部を改正する法律案を議題といたします。
委員長の報告を求めます。経済産業委員長工藤彰三君。
―――――――――――――
電気事業法の一部を改正する法律案及び同報告書
〔本号末尾に掲載〕
―――――――――――――
〔工藤彰三君登壇〕
この発言のページ
7
工藤彰三(自民)
ただいま議題となりました法律案につきまして、経済産業委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
本案は、電力の安定的かつ安全な供給を図り、エネルギー安全保障の確保を推進するため、大規模送電線や大規模電源の整備の促進、電気事業の安定的かつ持続的な発展のための環境整備及び太陽電池発電設備等の安全性の向上に関する措置等を講ずるものであります。
本案は、去る六月九日本委員会に付託され、翌十日に赤澤経済産業大臣から趣旨の説明を聴取いたしました。十二日に参考人に対する質疑を行った後、政府に対する質疑を行い、十九日に質疑終局後、採決を行った結果、本案は…
この発言のページ
8
森英介議長
採決いたします。
本案の委員長の報告は可決であります。本案を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
この発言のページ