何だかはっきりしないですね。
資料の二枚目に、制定過程で夫婦別姓を提唱された家族法の大家、中川善之助名誉教授の文章をお配りをしています。
この七百五十条、現行の、について、夫婦が自由平等の協議で決めればいいという、公平といえば公平、ずるいといえばずるい方法だと。やっぱりずるいですよね。なぜこうなったかと。煎じ詰めるところ、夫が妻の氏を称するのは恥辱だという偏見が根底にあるのだと思うと。
今を生きる私たちが同じような偏見にとらわれていないのか、我が身を常に顧みるべきだと思います。
第二次別姓訴訟原告の、広島の恩地いづみさんという方がいらっしゃいます。名前を変えるの嫌だなと思う一方、私が変えないためには夫を改姓させないといけなくて、私が嫌なことを相手に要求したくはないしと、仕方なく届出を出して夫の姓に改姓して、通称を使おうとした。ところが、使えない場面が多い、二つの名前を使い分けなきゃいけない、やっぱり駄目だと、この名前は私じゃないと、事実婚に変えられた。けれど、日常生活はすごくやりやすくていいんですが、今度は夫婦である何の証明もない、さらに老後や相続はどうなると語られています。
法務大臣、やっぱり名前は人権ではありませんか。
214竹竹内努法務省民事局長
お答えいたします。
家の制度では、家は戸主とその家族によって構成され、戸主はその家族に対して戸主権を行使し、戸主の身分及び財産は家督として単独相続されるものとされておりまして、妻及び未成年の子を含め戸主以外の家の構成員は、居所指定権や婚姻同意権などの戸主権に服する者とされていたと承知をしております。
また、例えば婚姻に関しては、妻は夫と同居する義務を負う、夫は妻の財産を管理すと規定され、親権に関しては、子はその家にある父の親権に服すなどと規定されていたものと承知をしております。
この発言のページ
215
仁比聡平(共産)
絶対的な戸主権の下で、妻と子は無権利、無能力者とされました。
その家制度が、一九四七年五月、日本国憲法の施行の下で廃止されたわけです。明治民法から四十九年ですね。日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間だと思います。
その年の十二月、民法改正によって、氏、氏名は、夫、妻それぞれの個人の呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴として大きく変わったのではないのか。法務大臣、いかがですか。
この発言のページ
216
鈴木馨祐(自民)法務大臣
今御指摘のように、昭和二十二年の現行民法、この制定によって「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」というふうにされました。このことは、当然ながら、その前の明治民法のそのお家という趣旨とは異なるものと承知をしております。
この発言のページ
- (上の発言)
217
仁比聡平(共産)
何だかはっきりしないですね。
資料の二枚目に、制定過程で夫婦別姓を提唱された家族法の大家、中川善之助名誉教授の文章をお配りをしています。
この七百五十条、現行の、について、夫婦が自由平等の協議で決めればいいという、公平といえば公平、ずるいといえばずるい方法だと。やっぱりずるいですよね。なぜこうなったかと。煎じ詰めるところ、夫が妻の氏を称するのは恥辱だという偏見が根底にあるのだと思うと。
今を生きる私たちが同じような偏見にとらわれていないのか、我が身を常に顧みるべきだと思います。
第二次別姓訴訟原告の、広島の恩地いづみさんという方がいらっしゃいます。名前を変えるの嫌だなと思う一方、私が変えないためには夫を改姓させないといけなくて、私が嫌なことを相手に要求したくはないしと、仕方なく届出を出して夫の姓に改姓して、通称を使おうとした。ところが、使えない場面が多い、二つの名前を使い分けなきゃいけない、やっぱり駄目だと、この名前は私じゃないと、事実婚に変えられた。けれど、日常生活はすごくやりやすくていいんですが、今度は夫婦である何の証明もない、さらに老後や相続はどうなると語られています。
法務大臣、やっぱり名前は人権ではありませんか。
218
鈴木馨祐(自民)法務大臣
まさに、それぞれの名、氏というもの、そこは人格権というか、そういったことと結び付いたものであると、そういった認識は私もございます。
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219
仁比聡平(共産)
二〇一五年の最高裁が、家族の呼称という言葉を使いました。人権なのに、家族の呼称とは一体何かと。あるいは、家族の一体感という言い方もあるんですが、これ民事局に尋ねたいんですが、家族というのは、法的にどんな、どの範囲の関係を指すんでしょう。
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220竹竹内努法務省民事局長
お答えいたします。
委員御指摘の平成二十七年の最高裁判決の多数意見におきましては、家族の一体感に関する言及それ自体はないものの、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位である、あるいは、家族を構成する個人が同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見出す考え方も理解できるところであるなどと判示されているものと承知をしております。
また、民法上、家族という文言やその定義規定は存在をしておりません。
この発言のページ