フィリピン残留日系人問題とは、第二次世界大戦前にフィリピンに職を求めて移住した日本人労働者が、第二次世界大戦とその後の混乱の中で、戦死や、米軍によって本邦へ強制送還された結果、そのフィリピン人配偶者と子供の多くがフィリピンに取り残されたと。そのうち子供は、いわゆるフィリピン残留日系人と言われております。
これらのフィリピン残留日系人の方々は、大戦中から、フィリピン国内での反日感情の高まりを背景に、戸籍関係の書類を焼却するなど、その身分を隠して生活せざるを得なかったといった事情から多くの方が無国籍の状態になったということでございます。
その後、日・フィリピン関係の改善とともに徐々に反日感情が和らいだことを受けまして、残留日系人が一体となって国籍確認を求める動きが生まれ、日本政府としても、一九九五年以降、日系人会等の協力をいただいて、実態調査等を通じた身元確認や、就籍、戸籍、国籍を復活する、取る、得るというための支援を進めてきたところでございます。
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塩村あやか(立憲)
じゃ、総理がリーダーシップを取って世界と連携して解決を目指すということでよろしいでしょうか。
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石破茂(自民)内閣総理大臣
私はそのつもりでございます。
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塩村あやか(立憲)
しっかりとやっていただきたいと思います。期待をしております。
次のテーマに移らさせていただきたいと思います。フィリピン残留日本人二世の問題でございます。
先ほど、チャイニーズドラゴンというキーワードも出てまいりました。彼らは中国残留孤児二世、三世になります。
今年は戦後八十年になります。世界が激しく動いている中、忘れてはいけない問題があると私は思っています。それがフィリピン残留日本人の問題でございます。書籍、こちら、書籍今日持ってきたんですが、パネルも御覧ください、資料にもございます。「フィリピン残留日本人」という写真集で、中国残留孤児の問題と違っ…
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- (上の発言)
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岩屋毅(自民)外務大臣
フィリピン残留日系人問題とは、第二次世界大戦前にフィリピンに職を求めて移住した日本人労働者が、第二次世界大戦とその後の混乱の中で、戦死や、米軍によって本邦へ強制送還された結果、そのフィリピン人配偶者と子供の多くがフィリピンに取り残されたと。そのうち子供は、いわゆるフィリピン残留日系人と言われております。
これらのフィリピン残留日系人の方々は、大戦中から、フィリピン国内での反日感情の高まりを背景に、戸籍関係の書類を焼却するなど、その身分を隠して生活せざるを得なかったといった事情から多くの方が無国籍の状態になったということでございます。
その後、日・フィリピン関係の改善とともに徐々に反日感情が和らいだことを受けまして、残留日系人が一体となって国籍確認を求める動きが生まれ、日本政府としても、一九九五年以降、日系人会等の協力をいただいて、実態調査等を通じた身元確認や、就籍、戸籍、国籍を復活する、取る、得るというための支援を進めてきたところでございます。
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塩村あやか(立憲)
残りは午後にさせていただきたいと思います。
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鶴保庸介(自民)
残余の質疑は午後に譲ることといたします。
午後一時に再開することとし、休憩いたします。
午前十一時五十四分休憩
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午後一時開会
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鶴保庸介(自民)
ただいまから予算委員会を再開いたします。
令和七年度総予算三案を一括して議題とし、休憩前に引き続き質疑を行います。塩村あやか君。
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