仁比聡平 (日本共産党)

2025年5月12日・第217回国会 参議院 決算委員会 第5号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 295 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 312 発言)

今も大臣の答弁よくお聞きになられた方はお気付きだと思うんですけど、雨については少ないという表現をされるんですよね。それ、ずっと国が言ってきました。いや、本当にそうなのかと。決して長崎でも雨が降らなかったことではないという、黒い雨の体験というのはこれまでの調査の中で明らかになってきているんですよ。

加えて、私が先ほどお尋ねしたのは、灰を始めとした放射性降下物ですね。雨でなければ放射能がないとか、灰は放射能と関係ないなんてあり得ないじゃないですか。

そうした中で、三枚目の図面は長崎県保険医協会のホームページからの引用ですが、本田医師が丹念に調査を続けておられまして、戦後何度かのこういう証言調査のようなものが長崎県、市によって行われています。ここに、ABCCが行った調査の中で雨が確認できるもの、それから、戦後直後、マンハッタン調査団というアメリカの調査団が放射線量を測定をしたと、測定して回ったという数値をこの図面に落としたものということなんですけれども、驚くほどといいますか、当然のようによく一致しているわけなんですよ。

ところが、被爆地域と国が言うのは、一枚目の資料のピンクの部分、つまり旧長崎市、戦後直後の長崎市の行政区域の中だけだと。こんな話があるかということが大問題なんですよね。

その中で、先ほど御紹介した古賀村というところで被爆をした陶山光子さん、当時国民学校の三年生ですけれども、こういう証言をしておられます。ドーンと大きな音がして伏せました。落下傘が落ちてきて、煙が立ち上がり、臭いとともに、空から紙、障子、切れた着物の燃えかすが、どんどんこちらに向かって飛んできました。五円紙幣、一円紙幣もひらひら舞ってきて、それをつかむと形がなくなり、手が真っ黒のすすで汚れました。真っ黒な雨が降ってきて白い服がびしょびしょにぬれ、泣きながら家に帰りました。その頃、水道はなく、山の水をためて使っていました。飲んだ水、お風呂の水、煮炊きした水に放射性物質が含まれていたと思います。一年くらい下痢が続き、歯茎から血が出たり、髪が抜けたりしたこともありました。高校一年生くらいのとき、がんで亡くなった同級生もいました。中学生のときに胸膜炎、三十歳くらいに虫垂炎と胃潰瘍、今は白内障、高血圧、腸や皮膚の薬も飲んでいますという。そうした証言といいますか、人生ですけど、被爆者そのものじゃないですか。

私、広島の黒い雨の被害者の会の皆さんに二〇〇〇年代の初めに出会って以来一緒に取り組んできたんですけれども、今長崎で御紹介をしたような被爆者って、広島にも同じような苦しみを訴えてき続けた方々がたくさんいらっしゃるわけです。そのうち八十四人の原告がこの被害の解決を訴えたと。その裁判が黒い雨の広島の裁判で、二〇二一年の七月に広島高等裁判所は、歴代政府の被爆者援護行政に根本的な見直しを迫る画期的な判決を私は下したと思います。

まず、厚労省に、局長にお尋ねをしますけれども、以来四年たちました。二〇二二年の四月に新たな基準に基づく取組が始まりましたけれども、被爆者健康手帳を新たに交付された方は、今一番直近の数字で何人になりますか。

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