伊藤孝江 (公明党)

2025年5月12日・第217回国会 参議院 決算委員会 第5号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 182 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 312 発言)

ありがとうございます。

司法審査は新しい制度ですから、導入をして始まったら、またその運用を見ながら様々検討しなければいけないところというのが出てくると思いますので、引き続き私自身も注視していきたいというふうに思います。

では、次のテーマに移らせていただきます。

刑事裁判において、法廷における被告人に対する手錠、腰縄の使用についてお伺いをいたします。これも以前に質問を何度かさせていただいているものです、一回かな、一回か二回か、済みません。

この刑事裁判において、勾留されている、拘置所に勾留されている被告人は、ほとんどの場合、裁判に行くとき、まあ法廷に入るときですね、手錠、腰縄を付けて法廷に入って、裁判が始められる前に手錠、腰縄が外されます。法廷に入ってから被告人席に移動して手錠、腰縄が外されるまでの間、要は、裁判官とか傍聴人とか、中には家族とか知人がいる場合も多いと思うんです。こういう人たちに手錠、腰縄姿をさらすことになる。

ただ、裁判員裁判ですね、一般の方が裁判官をしていただくというこの裁判員裁判においては、開廷前に手錠、腰縄を外す運用を認めています。これは、手錠、腰縄を使用している姿を裁判員に見られて、犯罪を犯したのではないかと予断を持たれないようにするという取扱いをしています。これは最高裁刑事局が書簡を出しているもので、そもそも被告人には無罪の推定が働いているけれども、手錠、腰縄姿を、それを覆してしまうほどのインパクトがあるというのが現実です。無罪推定の原則以外に、被告人の人格権や防御権の侵害、また被告人に劣等感や羞恥心を抱かせ、裁判当事者としての地位を脅かすこともあります。マスコミの報道でも、実際に手錠をしている姿については、手錠部分にぼかしを入れてそのまま報道しないという配慮がなされている。

じゃ、なぜこれが裁判員裁判ではない裁判で全く無視されて、手錠、腰縄をした姿で法廷に入れられるのかというのが問題です。

これ、令和六年四月十八日、法務委員会で質問させていただいた際、当時の小泉大臣より、基本的な考え方は逃走の防止を図るとした上で、本人の人格権との二つが両立できる道がないのかどうか、それはしっかり考えていく必要があると思いますと答弁をいただいております。

で、この中身の確認なんですけれども、これは、逃走の防止と本人の人格権の両方とも同じく重要な観点としてその両立について判断をするということなのか、あるいは、あくまでも逃走の防止を防ぐというのが、その観点で判断するということで、本人の人格権はその後に劣後する権利として考えているということなのか、この点、どのような趣旨なのかということについて鈴木大臣にお伺いいたします。

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