今回の事故は、既に回収、保管していた不発弾を業者に渡すための作業の過程で起こったものでありますが、この種の作業については既に今停止をいたしております。
こういったことにつきまして、もう一度、この事故原因の、発生の原因を調査をいたしまして、こういった安全管理を徹底した上で継続することを考えておりますので、現在、事故調査委員会、これの点の処理の在り方について、特に隊員の安全を確保する、また周囲に被害を及ぼさない、こういった不発弾処理の危険性を再認識させて、取扱事項について徹底を図ってまいりたいと考えますし、また、沖縄の県下にはまだまだ多くの不発弾が地中に埋没していると見られるために、不発弾等に対する対策、これは重要な課題であると認識をいたしております。
今回の事故を重く受け止めまして、今後とも安全かつ確実に不発弾処理を実施していく考えであります。
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高良鉄美政府参考人など
しっかりとした対応ということですけれども、今細かい点をちょっと述べられる機会がなかったと思うんですけれども、この今回の事故、通常のプロセスとは違った形で爆発が起きたというわけです。
今回、こうした事故が発生して隊員が負傷してしまった以上、土やさびを落とすといったこの従来の作業の在り方を見直す必要があるのではないでしょうか。いかがでしょうか。
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中谷元(自民)防衛大臣
もう少し詳しく申し上げますと、この不発弾の信管が機能しているか否かを確認するためにさび等の除去をする過程で行われましたけれども、これはこの作業を民間に、引き受けるための前の段階の作業でございました。
いずれにしましても、こういった事故が起こったということにつきましては、しっかりと、この事故原因等について今調査をいたしておりますけれども、こういったことが発生しないように、しっかりと作業の在り方等も見直す必要があるのではないかなというふうに思います。
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159
高良鉄美政府参考人など
今回、弾薬保管庫ということでしたけれども、資料の一の四は、これ沖縄防衛局の委託業者が米軍北部訓練場返還跡地で見付かった不発弾を、これ昨年、浦添市の住宅街にある事務所内に保管していたことが明らかになっています。戦後八十年が経過する中で、不発弾の危険性に対する認識が薄れているようにも感じますが、今回の事故を契機に、防衛省・自衛隊としても、不発弾に対する認識、処理手順の確認を含めて再点検すべきだと思いますけれども、中谷大臣の御見解をお伺いします。
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- (上の発言)
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中谷元(自民)防衛大臣
今回の事故は、既に回収、保管していた不発弾を業者に渡すための作業の過程で起こったものでありますが、この種の作業については既に今停止をいたしております。
こういったことにつきまして、もう一度、この事故原因の、発生の原因を調査をいたしまして、こういった安全管理を徹底した上で継続することを考えておりますので、現在、事故調査委員会、これの点の処理の在り方について、特に隊員の安全を確保する、また周囲に被害を及ぼさない、こういった不発弾処理の危険性を再認識させて、取扱事項について徹底を図ってまいりたいと考えますし、また、沖縄の県下にはまだまだ多くの不発弾が地中に埋没していると見られるために、不発弾等に対する対策、これは重要な課題であると認識をいたしております。
今回の事故を重く受け止めまして、今後とも安全かつ確実に不発弾処理を実施していく考えであります。
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高良鉄美政府参考人など
慎重にも慎重にということで、いろいろあると思いますけれども。
沖縄戦では二十万トン、これ大体、米軍の砲弾が落ちて、一万トンが不発弾だと言われています。その一万トンのうち、米軍とそれから沖縄の住民が処理してきたのが大体五千五百トンぐらい、それで、自衛隊によってまた二千トンぐらいやっていますので、今は大体もう二千トン弱、前後だと思うんですね。でも、これでも、二千トンといったって、これは百キロ爆弾を二十回わあっとやらなきゃいけない、二百回ですかな、もう計算がちょっと、大分ありますけれども。
そこで、やっぱりこの不発弾の問題というのは、実はその処理の問題だけ…
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岩屋毅(自民)外務大臣
高良先生には、大変お疲れさまでございました。いろいろお教えいただいて、ありがとうございました。
御指摘の分島・増約ですけれども、直近まで正直、私存じ上げませんでしたが、調べましたところ、明治四年に締結された日清修好条規を改正し、また中国内部において欧米並みの通商権を獲得するために、当時の明治政府が清国に対して宮古、八重山の二島を割譲することを提案したとされることを指すと承知をしております。
しかし、その後行われた同条規の改正交渉では、最終的に双方で合意に至らず、同条規は、明治二十八年四月に調印された日清講和条約、いわゆる下関条約第六条において破棄され…
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高良鉄美政府参考人など
資料の二の二の方ですね、最後の二つですけれども。沖縄は、一八七二年、これ廃藩置県の翌年です、もう藩はありません、しかし七二年から琉球藩ができるんです。明治五年のことです、これが、琉球藩がですね。江戸時代ではもちろんないわけなので、琉球藩の場合には、琉球国王に対して、詔勅によって、藩主ではなくて藩王と、藩王に封ずるとなされたわけです。ついでにと言ったら変ですけれども、華族である侯爵ですね、侯爵に列するということも付いておりました。そして、一八七九年、この琉球藩がいわゆる琉球処分によって沖縄県ということになるわけですけれども、これ廃藩置県の置県とはちょっと違…
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