資料二のき弾射撃の史料について、人を使用して行った試験の成績であり、得難い貴重なものと所見を記した辻秀雄氏も元陸軍少佐で旧軍人です。
ここに史料管理上の最高責任者とある西浦進戦史室長の終戦直前の地位はシナ派遣軍参謀とあります。日米開戦直前、東条内閣が誕生した一九四一年十月からは陸軍大臣秘書官、翌年四月からは陸軍軍務局軍事課長を務めた元大佐で、当時陸軍大臣は東条英機が総理大臣と兼任をしておりました。したがって、西浦氏は、文字どおり旧陸軍の中枢にいた人物です。今お話あったように、戦史の編さんというのは全て旧軍関係者が扱ってきたわけです。
大臣は冒頭、旧日本軍と防衛省・自衛隊は断絶していると、こうおっしゃったわけですが、別の組織だとおっしゃったわけですが、断絶などしていません。いや、むしろ連続しているからこそ、七三一部隊の人体実験や細菌戦を後ろ暗く感じて隠蔽の基準まで作ってきたと、こう言われても仕方がないんじゃありませんか。大臣。
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滝沢求(自民)
後刻理事会で協議いたします。
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山添拓(共産)
戦史室の創設以来、一九七〇年代までに在籍した戦史編さん官の人数と、そのうち旧軍関係者の人数、お示しください。
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134大大和太郎防衛省防衛政策局長
お答えいたします。
昭和四十八年五月に防衛研修所戦史室により作成された「戦史編纂沿革・履歴・索引」によれば、戦史室に在籍した戦史編さん官等の人数は百二十一人でありまして、その全員が旧軍関係者であったと記されております。
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- (上の発言)
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山添拓(共産)
資料二のき弾射撃の史料について、人を使用して行った試験の成績であり、得難い貴重なものと所見を記した辻秀雄氏も元陸軍少佐で旧軍人です。
ここに史料管理上の最高責任者とある西浦進戦史室長の終戦直前の地位はシナ派遣軍参謀とあります。日米開戦直前、東条内閣が誕生した一九四一年十月からは陸軍大臣秘書官、翌年四月からは陸軍軍務局軍事課長を務めた元大佐で、当時陸軍大臣は東条英機が総理大臣と兼任をしておりました。したがって、西浦氏は、文字どおり旧陸軍の中枢にいた人物です。今お話あったように、戦史の編さんというのは全て旧軍関係者が扱ってきたわけです。
大臣は冒頭、旧日本軍と防衛省・自衛隊は断絶していると、こうおっしゃったわけですが、別の組織だとおっしゃったわけですが、断絶などしていません。いや、むしろ連続しているからこそ、七三一部隊の人体実験や細菌戦を後ろ暗く感じて隠蔽の基準まで作ってきたと、こう言われても仕方がないんじゃありませんか。大臣。
136大大和太郎防衛省防衛政策局長
今御質問にありました西浦進氏でありますけれども、先ほど申し上げた「戦史編纂沿革・履歴・索引」によれば、大正十一年に陸軍士官学校を卒業した後、昭和十七年に陸軍省軍務局軍事課長を務め、昭和三十一年に防衛研修所戦史室長となったことが記されております。
防衛研究所は、自衛隊の管理及び運営に関する基本的な調査研究を行う機関であります。戦史叢書は戦史研究センターの前身である戦史室が自衛隊の教育又は研究の資とすることを目的として刊行したものでありまして、他の防衛研究所の刊行物と同様に防衛省や防衛研究所としての見解を示したものではありません。
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山添拓(共産)
質問と全然違います。大臣の認識を伺っています。
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中谷元(自民)防衛大臣
いわゆる七三一部隊につきましては、時間的な経過を鑑みますと、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定をするということは極めて困難と考えます。
新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたいと考えております。
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