山添拓 (日本共産党)

2025年4月24日・第217回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 125 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 166 発言)

き弾射撃の史料が寄贈されたのは一九六四年でしたが、公開は二〇〇四年です。四十年も秘匿し、その間、国会では史料がないと繰り返しました。なぜそんなことになったのでしょうか。

防衛研究所で探していただきまして、一九八二年、昭和五十七年十二月二十日付け、戦史史資料の一般公開に関する内規を提出いただきました。その第四条にはプライバシーの保護を要するもの、国益を損なうもの、好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるものについて公開しないものとすると書かれております。

資料の五を御覧ください。

これは、同じく防衛研に提出いただいた一九八三年、昭和五十八年十二月二十日付け、公文書の公開審査実施計画です。ここには公開審査の詳細が書かれております。その二枚目を御覧ください。先ほどの三つの分類の略号として、プライバシーに関するものはP、国益に関するものはN、社会的反響に関するものはSなどとしております。

さらに、めくっていただいて、六ページ。非公開判定の指針として、公開すべきものは丸、部分非公開は三角、非公開はバツ、そして、判定を審査会議の審査に委ねるものは摘出とすることが書かれております。

以下、具体的な内容ごとの審査指針に移るのですが、その次の七ページを御覧ください。

人事に関するもの、第七三一防疫給水部関係人事資料は摘出の対象とされています。これはなぜでしょうか。

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