後刻理事会で協議いたします。
滝沢求 (自由民主党)
2025年4月24日・第217回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 124 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 166 発言)
前後のやりとり
いや、それはおかしいと思います。
資料の二は戦後作られたものです。資料の経歴票、ここには池田苗夫氏の経歴が書かれており、昭和十五年、一九四〇年七月から十七年十一月、関東軍防疫給水部附軍医少佐と書いているじゃありませんか。
戦後も確認しているんじゃありませんか。
お答えします。 繰り返しになりますが、一般に資料に記載されている内容が客観的に事実か否かということを政府として断定するためにはいろいろなことを見なければいけないということであります。 それから、防衛研究所が管理する戦史史料は、公文書管理法及び同法の施行令に基づきまして、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として管理がなされているものでありまして、公文書管理法に定める公文書等には該当いたしません。 なお、防衛研究所においては、管理している戦史史料を整理する目的から、旧軍が作成したと見られる文書を公文書、個人による日記、回想などと見られる文書…
ごちゃごちゃおっしゃったんですけどね、どれも公文書なんですよ。自ら所蔵している史料に書かれていることすら認定できないというのは、これは理解できません。
私の手元には、池田氏が戦後、新潟大学に提出した履歴書の写しもあり、池田氏自身が当時七三一部隊に所属していたことを記しています。
改めて、政府として調査して報告するように求めたいと思います。
- (上の発言)
後刻理事会で協議いたします。
き弾射撃の史料が寄贈されたのは一九六四年でしたが、公開は二〇〇四年です。四十年も秘匿し、その間、国会では史料がないと繰り返しました。なぜそんなことになったのでしょうか。 防衛研究所で探していただきまして、一九八二年、昭和五十七年十二月二十日付け、戦史史資料の一般公開に関する内規を提出いただきました。その第四条にはプライバシーの保護を要するもの、国益を損なうもの、好ましくない社会的反響を惹起するおそれのあるものについて公開しないものとすると書かれております。 資料の五を御覧ください。 これは、同じく防衛研に提出いただいた一九八三年、昭和五十八年十二月…
今の御質問は摘出と、(発言する者あり)はい。
お答えいたします。
御指摘の文書が作成されたのは約四十年前でありまして、個別の記述について確たることを申し上げるのは困難でありますが、戦史史資料の一般公開に関する内規において当時の公開審査の基準が定められ、また、公文書の公開審査実施計画においてその細部要領が示されていると、こういうふうに認識しております。
なお、この戦史史料の一般公開に関する内規は、平成二年に定められた図書館史料庫の立入り等に関する内規によって廃止されているところであります。
御覧いただきましたら分かるように、人事に関するもので摘出の対象となっているのは七三一の資料だけなんですね。明らかに特別扱いしているんですよ。理由は分かりませんか。