澤田稔上智大学総合人間科学部教授/教職・学芸員課程センター長

2025年6月13日・第217回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 70 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 76 発言)

御質問ありがとうございます。

現場への縛りということを考えるときに注意したいなと思っているのは、学習指導要領そのものもやはり大事な部分はあると思うんですけれども、つまり、拘束性というものがありますので、学界では、もうそろそろ、一旦、手引的な、戦後の、もう少し柔軟な運用がそれこそ可能になるような部分を、考え直してもいいのではないかという議論も行われているぐらいですので。

しかし、一方で、今、学習指導要領だけを見ていても現場の縛られ感というのが見えない部分があるというふうに申し上げるのは、これは現場の責任も部分的にはあるかもしれないので難しいんですけれども、一つは、検定教科書です。

検定教科書には、学習指導要領の項目を複数回、同じ学年の中で重複して掲載していたりとか、学習指導要領を中心に考えると必ずしもそのページをやらなくても構わない部分があるんですけれども、教科書に頼るという形でやっていると、教科書に縛られてしまって、学習指導要領がそこまで書き込んでいないことも学校でやらなければいけないという感覚に陥ってしまっているという問題があり、もう一つは、間に立つ教育委員会とかが、学習指導要領には、こういうこともできるとか、典型的には道徳の別葉というのがあるんですけれども、それは、作ることもできると書いてあるだけなんですが、ほぼ全ての自治体が作らせているという状態にありますので。

したがって、学習指導要領ではそこまで言っていないことを、検定教科書が丁寧にやっている、そして、教育委員会が丁寧にやらせる。これは全部善意で動いているので非常に難しいんですけれども、そこのところも含めて全体の設計とか全体像をもう少し再構築するという視点がないと、学習指導要領の書き込みだけを考えていても現場の縛り感というのが余り変わらないという可能性も考えられますので、そんなことを考えながら先生の御質問をお聞きしていたというところです。

以上です。

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