ありがとうございます。
認識もそうですし、多分国会で余り議論をしたこともないなというふうに思っているんですけれども、一つの考え方を、もし間違っていれば御指摘いただきたいんですけれども、あり得るとすれば、一八六九年七月から八月がこの時期に当たります。
御存じのように、明治政府は一八六八年から始まったように取られているんですけれども、実はその後すぐ戊辰戦争が始まったので、実は幕府の方を欧米列強は交戦団体として認識しておりました。ですから、交戦団体があるうちは、明治政府は正統政府ではなかったわけです。これが終結したのが一八六九年六月で、その後に国家建設が始まるということになります。
この年の七月に統治機構としての開拓使が設置されたというのは北海道であれば当たり前のことですけれども、さらに、その次の月の八月十五日、これも、北海道にいると北海道の重要な記念日として認識されることが多いと思うんですけれども、この八月十五日に太政官布告が出まして、蝦夷地を北海道に改称するということをやります。
これは何かというと、蝦夷地というのは、これは実は北海道のホームページにも今載っかっているんですけれども、北海道の経歴というところを見ますと、異民族が住む土地が蝦夷地です。これを北海道に読み替えるということなんですけれども、この北海道は何かというと、これは、律令制度のときにできた五畿七道という日本の地方行政区分があったんですけれども、御存じのように、七道というのは、東海道、それから北陸道、今でも新幹線の名前なんかに出てくるのは、日本のかなり古い時代からの、ある種の地域行政制度だったんですけれども、これに足して八道目として北海道を新設する。つまり、この段階が、日本の行政制度の中に実はこの土地が組み込まれたことになります。
同時に、この日に十一国八十六郡の国郡制が実施されます。今でも胆振国とかいろいろな言い方をするんですけれども、そうしたものが組み込まれたのがこの一八六九年八月でありまして、このとき初めて、日本の国内統治機構が北海道に適用されたんです。それまでは鎖国でしたから、日本の国内というのは鎖国の範囲内です。ですから、北海道、蝦夷地というのは日本の国内ではなかったというふうに考えてもいいのではないかなと思います。
そうしたことを踏まえて、一八六九年以前には、札幌地裁判決が述べるように、アイヌ民族の慣習法が存在したというふうに思うんですけれども、その後、そうした慣習法を日本政府が公式に否定したということがあるのでしょうか。まず、政府参考人、いかがでしょうか。
117
伊東良孝(自民)内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・消費者及び食品安全・地方創生・アイヌ施策)
アイヌ民族の皆さんとは長い長いおつき合いもありますし、今でも個人的にも深いおつき合いをしている方はたくさんいらっしゃるところであります。ただ、それとこれとはまたちょっと別なお話になってしまうので申し訳ありませんが。
御指摘の、今お話がありました訴訟につきましては、昨年四月十八日に札幌地方裁判所におきまして原告側の請求を棄却する判決が出され、現在、札幌高等裁判所で係争中であると承知をいたしております。
現在係争中の事案であることから、当該事業につきましての私の見解につきましては差し控えさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
この発言のページ
118
上村英明(れいわ)
係争中の問題に関しては難しいかなと思っていたんですけれども、伊東大臣、釧路で、釧路は大きなアイヌのコミュニティーもありますので、いろいろな御関係があったということを伺わせていただきまして、大変ありがとうございました。
では、次の質問に移ります。
こうしたプロセスの中で重要なポイントは何かというと、アイヌ民族が、我が国の統治が及ぶ前から北海道に居住していたという認識がございます。この認識は、一九九七年三月の二風谷ダム判決という、札幌地裁ですけれども、裁判所の判決文の中に出てきますし、二〇〇九年七月にはアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の報告書にも出…
この発言のページ
119松松浦克巳内閣官房アイヌ総合政策室長
お答えいたします。
先生御指摘のとおり、この記載につきましては、平成二十一年七月のアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書で記述されているものでございます。政府として、我が国の統治が及ぶ前がいつ頃であるかという質問でございますけれども、この点に関して、政府として認識を示したことはないというふうに承知しております。
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- (上の発言)
120
上村英明(れいわ)
ありがとうございます。
認識もそうですし、多分国会で余り議論をしたこともないなというふうに思っているんですけれども、一つの考え方を、もし間違っていれば御指摘いただきたいんですけれども、あり得るとすれば、一八六九年七月から八月がこの時期に当たります。
御存じのように、明治政府は一八六八年から始まったように取られているんですけれども、実はその後すぐ戊辰戦争が始まったので、実は幕府の方を欧米列強は交戦団体として認識しておりました。ですから、交戦団体があるうちは、明治政府は正統政府ではなかったわけです。これが終結したのが一八六九年六月で、その後に国家建設が始まるということになります。
この年の七月に統治機構としての開拓使が設置されたというのは北海道であれば当たり前のことですけれども、さらに、その次の月の八月十五日、これも、北海道にいると北海道の重要な記念日として認識されることが多いと思うんですけれども、この八月十五日に太政官布告が出まして、蝦夷地を北海道に改称するということをやります。
これは何かというと、蝦夷地というのは、これは実は北海道のホームページにも今載っかっているんですけれども、北海道の経歴というところを見ますと、異民族が住む土地が蝦夷地です。これを北海道に読み替えるということなんですけれども、この北海道は何かというと、これは、律令制度のときにできた五畿七道という日本の地方行政区分があったんですけれども、御存じのように、七道というのは、東海道、それから北陸道、今でも新幹線の名前なんかに出てくるのは、日本のかなり古い時代からの、ある種の地域行政制度だったんですけれども、これに足して八道目として北海道を新設する。つまり、この段階が、日本の行政制度の中に実はこの土地が組み込まれたことになります。
同時に、この日に十一国八十六郡の国郡制が実施されます。今でも胆振国とかいろいろな言い方をするんですけれども、そうしたものが組み込まれたのがこの一八六九年八月でありまして、このとき初めて、日本の国内統治機構が北海道に適用されたんです。それまでは鎖国でしたから、日本の国内というのは鎖国の範囲内です。ですから、北海道、蝦夷地というのは日本の国内ではなかったというふうに考えてもいいのではないかなと思います。
そうしたことを踏まえて、一八六九年以前には、札幌地裁判決が述べるように、アイヌ民族の慣習法が存在したというふうに思うんですけれども、その後、そうした慣習法を日本政府が公式に否定したということがあるのでしょうか。まず、政府参考人、いかがでしょうか。
121松松浦克巳内閣官房アイヌ総合政策室長
今先生の御指摘ございましたアイヌに関する慣習法についてでございますけれども、いずれにしても、この慣習法につきまして、定義や内容が非常に不明確なため、内閣官房としてお答えすることは困難であります。
なお、一般論として申し上げれば、慣習につきましては、法の適用に関する通則法及び民法に規定があると承知しておりまして、当該法律の解釈については、所管であります法務省にお尋ねいただければと思います。
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上村英明(れいわ)
そういうお答えだろうというふうに思ったんですけれども、伊東大臣にお話を伺う前に、今の話についてもちょっと言及しておきたいんです。
実は、二〇二四年四月の札幌地裁判決は、アイヌ民族の慣習法があるということは認めているんです。認めています。ただし、現在の現行法である水産資源保護法などのような一般法に比べれば、慣習法はやはり下位にあるということを判決の中で述べています。
これは、例えば日本にも慣習法、先ほど通則法という話が出ましたけれども、日本の農山村において入会権がある、それから商慣習、これは取引をやっていると慣習的にやる部分もいっぱいあるんですね。そう…
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伊東良孝(自民)内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・消費者及び食品安全・地方創生・アイヌ施策)
大変に高尚なお話でございまして、そしてまた歴史的にも、過去のいきさつからいきましても難しいお話でありまして、私も半分も理解できなかったかなと今思いながらいたところであります。
ただ、一八〇〇年以前、松前藩が北海道は統治しておりまして、その下で本州の豪商が、毛皮、魚等々を、アイヌを使って、買取りをし、商売をして、莫大な富を築いていたというのは聞いているところでありまして、その中で相当アイヌ民族も虐げられたというお話も聞いておりまして、どちらかといいますと、私も心情的には、そのアイヌの皆さんのお気持ちとか当時の生活というものが分かるような気がしておりまして…
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