成田憲彦駿河台大学名誉教授

2025年3月17日・第217回国会 衆議院 政治改革に関する特別委員会 第8号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 43 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 125 発言)

政治と金につきましては、大きく二つの考え方があると思います。

一つは、自民党の政治改革大綱で、政治資金は政治が活動の自由を獲得するための非常に重要な要素であると。政治は金がなければ自由を得られない、こういう認識、これは一つの真実を含んでいると思います。

しかし、別の考え方は、先ほどの江田先生、それから福島先生などがおっしゃられていることは、通産省ないし経産省で、金をもらう議員がいかに自由を失っているか、縛られているか。したがって、政治は金をもらうと自由を失う、政治が自由であり続けるためには金をもらってはいけない、こういう考え方、こういう二つの考え方があると思います。

私は、長いこと、政治はやはり金をもらわないと自由が得られないのではないか、特に、その場合には、個人献金だといろいろうるさいから、やはり寛大な企業献金をもらっているのはいいのではないかという考えを持ってきましたけれども、最近になって、先ほど池下先生もお触れになられました、やはり献金で政治がゆがめられている、それで政策がゆがめられていることはないという主張もありますけれども、しかし、環境経済学などに疫学的方法というのがございます。つまり、汚染原因の分布と被害の分布が重なれば、やはりその物質は汚染の原因である。

それと同じように、企業献金の分布とそれから整備する政策の分布を見れば、先ほどお話しになられましたように、金が集まらない分野、かつて、女性だとか人権の問題だとか優生保護法の廃止とか、そういうものはなおざりにされているわけですから、疫学的手法で見れば、やはり政治と金は因果関係にある。

こういうことで、やはり、政治が自由であるために献金を辞退するというのが新しい生き方ではないかというふうに現在私は考えております。

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