自由民主党の福原淳嗣であります。
発言の機会をいただきましたことに、委員長、理事、そして全ての委員の皆様方に心から深く感謝を申し上げます。
それでは、早速、通告に従いまして質問させていただきたいと思います。
まず、植田総裁におかれましては、先週の記者会見と私、記憶しておりますが、特に物価高に対して、お米ですね、お米の物価に対して何か対応できることはありますかという記者の問いかけに対して、ありませんというやり取りがありまして、私は本当に飾らない素直な総裁なんだなというふうに思いました。でも、その後、実は金融政策的にはこういうこともできるんだけれどもそれはしませんというくだりがあって、改めて金融政策の奥の深さというものを実感をさせていただきました。
今回、私、質問に際して、外交の勉強会で、著名な研究家の方々が、歴史は繰り返さないが韻を踏む、一九三〇年代のそれと今はすごく酷似をしている、極東アジアに国際政治上非常にインパクトがある国が出てくると、その後、西洋とはどうなるのだろうというやり取りがありまして、改めて、戦後八十年の節目の今年、我が国の経済政策を振り返る契機ではないのかなと思っています。
これまでの八十年を日本の経済政策で見ると、私は大きく二つに分けることができるのだろうというふうに考えています。一つが前半の安定成長期、そして後半の低成長期、いわゆるデフレになります。前半の安定成長期と低成長期の間、移行期にあったのが、私は一九八五年の九月のプラザ合意、その後は瞬間ですが円高不況になりますが、日銀さんが低金利政策をすることであっという間に好景気になり、それがバブル景気につながっていく、そしてそれが崩壊をして今のデフレ、失われた三十年が続くと認識をしております。
このプラザ合意の短い間ではあったんですが、円高不況の際、私のふるさと秋田でどういうことがあったのか。実は、鉱山が相次いで閉山をしてしまいました。非常に私たちは暗い気持ちになりました、私のふるさと大館は鉱山町でしたので。ただ、そのときに、当時の通商産業省が、リサイクル・マイン・パークで資源リサイクルの基地にしますということを言って、留飲を下げたのを昨日のことのように覚えています。
そして、低成長期、デフレ、この三十年間、日銀、金融庁、いろいろな政策をしてきたのだというふうに私は考えています。
実は、先月の十二日、同じこの財務金融委員会で加藤勝信財務大臣に、今の日本の国際収支と我が国の経済構造、産業構造をどう捉えておりますでしょうかという質問をした際に、加藤大臣は、投資が国外に行ってしまっている、国内ではないということをはっきりと答えてくれました。
こういった加藤勝信大臣の見解をもって総理大臣の施政方針演説を読み解くと、実は総理は、食料自給力、エネルギー自給率が低い、なので、外的な事象に国民生活が大きく影響を受ける懸念がある、より自立した形で国民生活を守ることができるよう、より戦略的な国家運営が必要である、持続可能で自立したことを重視しなければならないというふうに総理は施政方針演説で述べられております。
改めて、植田総裁にお聞きをしたいと思います。
プラザ合意以降の日本の経済の流れ、それを受けてのまさに金融政策の運営とその効果について、所見をお伺いしたいと思います。
4植植田和男日本銀行総裁
日本銀行は、毎年六月と十二月に通貨及び金融の調節に関する報告書を国会に提出しております。本日、最近の経済金融情勢と日本銀行の金融政策運営について詳しく御説明申し上げる機会をいただき、厚く御礼申し上げます。
まず、最近の経済金融情勢について御説明いたします。
我が国の景気ですが、一部に弱めの動きも見られますが、緩やかに回復しています。輸出や鉱工業生産は横ばい圏内の動きとなっています。企業収益が改善傾向にある下で、設備投資は緩やかな増加傾向にあります。雇用・所得環境は緩やかに改善しています。個人消費は、物価上昇の影響などが見られるものの、緩やかな増加基調…
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井林辰憲(自民)
これにて概要の説明は終わりました。
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井林辰憲(自民)
質疑の申出がありますので、順次これを許します。福原淳嗣君。
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- (上の発言)
7福福原淳嗣(自民)
自由民主党の福原淳嗣であります。
発言の機会をいただきましたことに、委員長、理事、そして全ての委員の皆様方に心から深く感謝を申し上げます。
それでは、早速、通告に従いまして質問させていただきたいと思います。
まず、植田総裁におかれましては、先週の記者会見と私、記憶しておりますが、特に物価高に対して、お米ですね、お米の物価に対して何か対応できることはありますかという記者の問いかけに対して、ありませんというやり取りがありまして、私は本当に飾らない素直な総裁なんだなというふうに思いました。でも、その後、実は金融政策的にはこういうこともできるんだけれどもそれはしませんというくだりがあって、改めて金融政策の奥の深さというものを実感をさせていただきました。
今回、私、質問に際して、外交の勉強会で、著名な研究家の方々が、歴史は繰り返さないが韻を踏む、一九三〇年代のそれと今はすごく酷似をしている、極東アジアに国際政治上非常にインパクトがある国が出てくると、その後、西洋とはどうなるのだろうというやり取りがありまして、改めて、戦後八十年の節目の今年、我が国の経済政策を振り返る契機ではないのかなと思っています。
これまでの八十年を日本の経済政策で見ると、私は大きく二つに分けることができるのだろうというふうに考えています。一つが前半の安定成長期、そして後半の低成長期、いわゆるデフレになります。前半の安定成長期と低成長期の間、移行期にあったのが、私は一九八五年の九月のプラザ合意、その後は瞬間ですが円高不況になりますが、日銀さんが低金利政策をすることであっという間に好景気になり、それがバブル景気につながっていく、そしてそれが崩壊をして今のデフレ、失われた三十年が続くと認識をしております。
このプラザ合意の短い間ではあったんですが、円高不況の際、私のふるさと秋田でどういうことがあったのか。実は、鉱山が相次いで閉山をしてしまいました。非常に私たちは暗い気持ちになりました、私のふるさと大館は鉱山町でしたので。ただ、そのときに、当時の通商産業省が、リサイクル・マイン・パークで資源リサイクルの基地にしますということを言って、留飲を下げたのを昨日のことのように覚えています。
そして、低成長期、デフレ、この三十年間、日銀、金融庁、いろいろな政策をしてきたのだというふうに私は考えています。
実は、先月の十二日、同じこの財務金融委員会で加藤勝信財務大臣に、今の日本の国際収支と我が国の経済構造、産業構造をどう捉えておりますでしょうかという質問をした際に、加藤大臣は、投資が国外に行ってしまっている、国内ではないということをはっきりと答えてくれました。
こういった加藤勝信大臣の見解をもって総理大臣の施政方針演説を読み解くと、実は総理は、食料自給力、エネルギー自給率が低い、なので、外的な事象に国民生活が大きく影響を受ける懸念がある、より自立した形で国民生活を守ることができるよう、より戦略的な国家運営が必要である、持続可能で自立したことを重視しなければならないというふうに総理は施政方針演説で述べられております。
改めて、植田総裁にお聞きをしたいと思います。
プラザ合意以降の日本の経済の流れ、それを受けてのまさに金融政策の運営とその効果について、所見をお伺いしたいと思います。
8植植田和男日本銀行総裁
お答えいたします。
ちょっと長い期間になりますが、まず、一九八五年九月のいわゆるプラザ合意以降、委員おっしゃいましたように、急速な円高の進行が我が国経済に与える影響が懸念されたわけですが、政府が内需拡大に向けた景気対策を一方で講じたこと、それから、日本銀行は、当時、政策金利でありました公定歩合を二・五%と当時としては異例の低水準まで引き下げ、この水準を一九八九年五月まで据え置いたわけでございます。こうした政策運営の下で、日本経済はバブルの生成とその崩壊という大きな振れを経験することになりました。
その後、一九九〇年代ですが、バブル崩壊に伴い、資産価格…
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9福福原淳嗣(自民)
植田総裁、ありがとうございます。
実は、そうした流れがあればこそ、実は今、日本というのは、十二日の加藤勝信大臣の言葉をかりれば、お金もある、技術もある、そして人材もある、私は、総理が指摘している、我が国の経済、産業構造の持っている脆弱性をより強靱化させるために、今こそ国内投資をするべきではないのかという考え方に立って、あと二問だけ質問をさせていただきたいと思います。
安定成長期を続けていた日本と低成長期を乗り越えた日本で決定的に違うのは、貨幣換算できない新しい価値が経済活動により大きなインパクトを与えていると考えています。
ここで、私は二つ質問しま…
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10加加藤毅日本銀行理事
お答えいたします。
日本銀行でございますけれども、日本銀行の使命は物価の安定と金融システムの安定でございますが、そうした観点からも、気候変動対応というのは非常に重要なものというふうに考えております。
そうした意識から、我々は、気候変動対応オペというものを導入しておりまして、これで、民間金融機関が自らの判断により取り組む気候変動対応に資する投融資をバックファイナンスしているところでございまして、このオペを利用する金融機関には国際的な基準に沿った一定の開示も求めることで規律づけをしっかり図る仕組みとしております。
これまでの利用実績を見ましても、貸付残…
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