古波藏契東京科学大学未来社会創成研究院准教授

2025年6月13日・第217回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 55 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 92 発言)

ありがとうございます。

そうですね、マイホーム主義という言葉を先ほどさらりと出したときに、個人主義的上昇志向というふうに定義しました。

これはどこから説明したらいいのか結構難しいんですけれども、マイホーム主義、確かに社会に背を向けて家の中に閉じこもっているというネガティブなイメージを込めて使っていますが、同時に、やはり一つ大事な機能を担っているのは確かで、それは何かというと、社会に対するある種の信頼感というものと引換えになっているんですね。

すごく分かりづらいんですけれども、例えば、日本で一億総中流ということが言われて、結構長いこと、一昔前まで言われていました。じゃ、実際に本当にみんな中流かと言われれば、決してそうではない、結構格差がある。にもかかわらず、まあしようがない、でも自分は中流だしというふうに、みんながそういって思えるのは、それは、自分が努力すれば、自分の適性に応じて、努力に応じて、社会の中できっとふさわしいポジションを得ることができるだろうと、やはり信頼感があるから多少今の格差というのにも目をつぶる。

例えば、自分はこんなところだけれども、それは自分が頑張らなかったからかなとか、あるいは、自分の子供はもう少し教育させて、もっと上に行けるだろうとかそういうふうに、今いろいろな問題があったとしても、それは結構フェアなゲームの中でつくり出された結果だから受け入れてもいいかなというふうになるというのがマイホーム主義の正確な定義。正確なと、僕がつくっているんですけれども、これは、別に僕がつくったわけではなく、社会科学の中では元々確立された考え方なんです。

ところが、じゃ、これが維持できるかというと、それが大分怪しくなってきているというのが大分前から言われていて、じゃ、頑張れば本当に報われるのか、だって、自分の父親よりもいい大学に行ったけれども、でも自分は家も買えないじゃないというふうに、本当にこの社会はよくなるんだろうか、自分の努力は報われるんだろうかというのが疑問に付されるようになってくると、それはだんだん社会に対する不信感につながってくるし、ひいては、選挙なんか行かなくてもいいやということにもなるだろうし、路上で何を言っても関係ないやということにもなるだろうし。もっと悪いことには、君たちは多分この社会をアンフェアなゲームだと思っているんだろう、ならばぶっ壊してやろうというようなタイプのある種の政治的な主張に支持を与えるという可能性がやはりあるんですよね。

そういう意味では、マイホーム主義というのはある機能は果たしていたけれども、それをやはり維持するのが難しくなってきているというのが僕の議論で、それに代わる何か別の価値観みたいなものを打ち立てるというのが大事なのかなということで議論を展開しているところですね。

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