宮出千慧 (参政党)

2026年4月2日・第221回国会 参議院 厚生労働委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 100 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 228 発言)

処遇改善加算が、処遇改善分は人件費に限定するということで担保していただいているということなんですが、しかし、この職員一人一人にどれだけ届いているかというのは確認ができておらず、ここはちょっと疑問符が付くところかなというふうに思います。現場からは、基本給ではなく手当として支給されるケースも多く、名目賃金は上がったとしても手取りが上がった感覚がないといった声も聞こえてまいります。ここにちょっと配り方の構造的な問題があるのかなというふうにも思っております。

そして、この介護報酬と公定価格はもちろん市場で決まるものではなく、政府が水準の管理を行っているものであることに鑑みれば、介護職員や保育士の処遇が相対的に低い水準にとどまっているのは政府の政策の結果であると言うことができます。しかし、これまでも本当に多くの方がこの点を指摘し続けてきても、まだ他産業に追い付かないであるとか、こういった低賃金の状態が続いているということは、もっと根本的な構造的な問題が存在することを示唆しているのではないかと考えております。

ここで、ケア労働という概念に注目をしたいと思います。ケア労働というのは他者の日常生活を支える活動でして、育児や介護がまさにこれに該当いたします。このケア労働は、歴史的に見ると女性が担ってきたと言えます。これは女性ならではの愛情や道徳に起因する自然な行動であるというふうにこれまでみなされてきた、そして家庭内の無償労働の延長にあるとみなされてきたということから、そのために専門性が見えづらく、対価を支払う理由が生じづらい環境が形成されてきたのではないかという指摘がございます。

つまり、一般の感覚でいえば、これまで家庭でやってきたことを外に任せるということで、実際には保育士さんも介護士さんも物すごく知識が必要で、高度な専門性を持っていらっしゃるにもかかわらず、社会的に子守や家事の延長であるというふうな誤解が残っているのではないかということでございます。この立場に立つと、介護や保育の低賃金構造の一側面が説明できるのではないかと思います。

ここで発見されたケア労働に関しては、更に脱家族化すべきだ、つまり、家族が行うのではなく、これをもう全て労働として変換可能な状態にすべきだということが併せて主張されております。私個人としては、この脱家族化にはちょっともろ手を挙げて賛同することはできないんですね。特に保育に関して言えば、先ほどの私の例を挙げるまでもなく、子供は本来親と一緒にいたいのであって、それを阻んでしまうのは、これはもう親の都合であって社会の都合だと思うからであります。

実際、このことはケア労働のジレンマとされているようでございます。ケア労働は家族関係を前提としているために、脱家族化をしてしまうと、家族の関係性を変質させてしまうという指摘もされております。裏を返すと、家族でケアをしたい、つまり、家族化し続けたいと思うことがケア労働の価格押し下げ圧力となっており、保育従事者の低賃金環境が続くことに加担してしまっていると言うこともできます。子供と一緒に過ごしたい、親として子供のためになることをしたいと、そういう純粋な親の気持ちが、こういった思いもよらぬ影響を与えているかもしれないということでございます。

これは保育が典型なんですけれども、介護においても、やはり住み慣れた地域で家族が面倒見てあげたいという方もいらっしゃいまして、このジレンマが一定当てはまるのではないかなというふうに思っております。

ここで、厚生労働大臣及び内閣府副大臣に伺います。

ケア労働にこういったジレンマがあると言われておりますが、在宅介護、家庭保育を希望する家族の思いと、そして施設、保育所等で働く従事者の処遇改善との両立を実現するためにはどのような方法があると思われるでしょうか。

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