ちょっと、本当に、そういう言い方をされると私は不本意なんですけれども。
まず……(辰巳委員「不本意じゃないでしょう」と呼ぶ)いやいや、その「ビューポイント」という雑誌も、旧統一教会系ということは全く知りませんでした。非常に有名な評論家の方からお誘いを受けて、インタビューを受けました。それは、多分御党の広報紙だと思いますけれども、それらでも書かれました。それで、調べました。それで、報告を党にいたしました。その世界日報というのも旧統一教会系のものだということで取材がありましたので、調べました。計五回受けていたということで、これも党に報告をいたしました。追加的に報告をしたものがその世界日報というものでございます。
だから、通らないということじゃないです。ちゃんと党で定められたとおり報告をしている。
ほかの自民党国会議員も、残念ながら、安倍元総理の事件が起きるまで、いろいろな名称、様々な形態で活動しているこの団体について、全てを分かっていたわけじゃないです。だから、関係のある新聞だと知って取材を受けたわけでもないし、関係のある雑誌だということで取材を受けたわけでもないということです。
329
辰巳孝太郎(共産)
追加的というのは、一九九四年の世界日報からのインタビューを受けたと。
総理は、世界日報のインタビューを、九四年、九五年、九六年、九七年、そして二〇〇一年の五回受けておられます。当初の自民党の報告には、二〇〇一年の一回、そういう報告だったと思います。一九九四年からの五回の世界日報でのインタビュー、それに答えたということをお認めになるということでよろしいですね。
この発言のページ
330
高市早苗(自民)内閣総理大臣
これは、旧統一教会の関係とは知らずに取材もインタビューも受けております。月刊誌「ビューポイント」に一回、二〇〇一年、それから世界日報、一九九四年から二〇〇一年にかけて、判明したもの五回、これらは報告をいたしております。
この発言のページ
331
辰巳孝太郎(共産)
総理、それは通らないんですよ。
今年の二月八日に至るまで、総理が、統一協会との関係というのは二〇〇一年の一件だったという答弁なんです。しかし、総理、五回、一九九四年から五回受けているということは、二〇二三年のしんぶん赤旗で既に報道されております。あるいは、去年、東京新聞も報道をしております。あるいは、フラッシュという雑誌の報道でも、総理が一回ではなくて計五回、九〇年代から世界日報のインタビューを受けているという報道がされているにもかかわらず、なぜ今年二月のインタビューに至るまでそれを認めてこなかったのかということを私は問うております。
この発言のページ
- (上の発言)
332
高市早苗(自民)内閣総理大臣
ちょっと、本当に、そういう言い方をされると私は不本意なんですけれども。
まず……(辰巳委員「不本意じゃないでしょう」と呼ぶ)いやいや、その「ビューポイント」という雑誌も、旧統一教会系ということは全く知りませんでした。非常に有名な評論家の方からお誘いを受けて、インタビューを受けました。それは、多分御党の広報紙だと思いますけれども、それらでも書かれました。それで、調べました。それで、報告を党にいたしました。その世界日報というのも旧統一教会系のものだということで取材がありましたので、調べました。計五回受けていたということで、これも党に報告をいたしました。追加的に報告をしたものがその世界日報というものでございます。
だから、通らないということじゃないです。ちゃんと党で定められたとおり報告をしている。
ほかの自民党国会議員も、残念ながら、安倍元総理の事件が起きるまで、いろいろな名称、様々な形態で活動しているこの団体について、全てを分かっていたわけじゃないです。だから、関係のある新聞だと知って取材を受けたわけでもないし、関係のある雑誌だということで取材を受けたわけでもないということです。
333
辰巳孝太郎(共産)
総理、五回出ているんです。しかも、これは九四年ですから、九〇年代、霊感商法や、あるいは、総理がテレビで共演されていた飯星景子さんが集団結婚式なりで出て大変社会的な問題になっていたような時期に、それこそ自民党の議員が統一協会との距離を空けようとした時期に、九四年から五回、世界日報のインタビューを受けているということなんですね。余りにもこれは筋が通らない、説明が通らないと私は思います。
もう五回も認めましたから。今まで言っていなかったこと、五回は認めましたので、もう答弁はいいです。答弁は結構でございます。
名称変更について確認をしたいというふうに思います…
この発言のページ
334
坂本哲志(自民)
後ほど理事会で協議をいたします。
この発言のページ
335
辰巳孝太郎(共産)
この二〇一五年、名称変更がされたときの大臣が下村博文氏であります。今回、自民党の公認を得て、衆議院議員に復帰をされました。
下村氏は、文科大臣として、二〇一四年、先ほどの世界日報の記事で、大臣室に招いて対談を行っているほどの密接な関係を持っていた方でもあります。その一年後にこの名称変更が認証されました。名称変更の申請を受理したときと認証決定の決裁時の説明文書が存在することを文科省は認めておりますけれども、この開示を拒否をしております。
ところが、昨年、これらの不開示決定の取消しを求めた訴訟において、大阪地裁は、不開示の一部は違法との判断を下しました。…
この発言のページ