非核三原則は、一九七二年の沖縄返還との関わりで国是となったものであります。県民が当時願ったのは、基地のない平和な島としての復帰でありました。
ところが、政府はこの願いに反して、基地の存続を前提とした沖縄返還協定を力ずくで押し通しました。衆議院の特別委員会は強行採決でありました。抗議した野党が欠席する中で開かれた本会議で自民、公明、民社党が共同提案して可決されたのが、非核三原則に関わる最初の国会決議であります。この決議、これはどういう内容のものであったか、そして当時、佐藤首相はどのような見解を表明しましたか。
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茂木敏充(自民)外務大臣
まず、キューバ・ミサイル危機、私の記憶が正しければ一九六三年のことだったと思います。
それから、私は、先ほど申し上げましたのは、どういう根拠に基づいて赤嶺議員がお話をされているか分からないということでありまして、赤嶺議員が筋違いの話をしている、このようなことは申し上げておりません。
その上で、先ほども申し上げましたけれども、日本に復帰する以前の沖縄におけます米軍の核兵器の配備につきまして政府として承知していないということは、従前から答弁をしてきているとおりであります。
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赤嶺政賢(共産)
B52の事故のときは、当時の立法院、今の県議会、当時占領下で立法院と呼んでいました、そこの代表が佐藤首相に要請を行っています、爆発事故のB52の撤去と非核兵器の問題について。だから、占領下であっても佐藤首相はその立法院の決議を受け取っているんですよ。そういう事実を調べて、占領下当時は知らないという答弁を変えるべきではありませんか。現に当時、佐藤首相に申し入れているわけですから。いかがですか。
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茂木敏充(自民)外務大臣
一九五九年にB52戦略爆撃機が爆発、炎上する事故が起きた、これは事実であります。そして、当時の県議会におきまして佐藤首相に対して申入れが行われた、このことも事実であろうかと思いますが、それと核兵器があったかどうか、これはまた別の議論である、こんなふうに考えております。
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- (上の発言)
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赤嶺政賢(共産)
非核三原則は、一九七二年の沖縄返還との関わりで国是となったものであります。県民が当時願ったのは、基地のない平和な島としての復帰でありました。
ところが、政府はこの願いに反して、基地の存続を前提とした沖縄返還協定を力ずくで押し通しました。衆議院の特別委員会は強行採決でありました。抗議した野党が欠席する中で開かれた本会議で自民、公明、民社党が共同提案して可決されたのが、非核三原則に関わる最初の国会決議であります。この決議、これはどういう内容のものであったか、そして当時、佐藤首相はどのような見解を表明しましたか。
189有有馬裕外務省総合外交政策局長
お答え申し上げます。
一九七一年十一月二十四日の非核兵器並びに沖縄米軍基地縮小に関する衆議院決議におきましては、政府は、核兵器を持たず、造らず、持ち込まさせずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、並びに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置を取るべきであるとされております。
同決議に対して佐藤総理は、非核三原則を遵守することは私が既に繰り返し述べているところでありますが、本日、本会議における決議の採択に当たり、政府として非核三原則を遵守する旨、改めて厳粛に声明するものであります、今般の決…
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赤嶺政賢(共産)
外務大臣、沖縄返還に当たって、核兵器が配備されている沖縄を受け入れるに当たって国会で非核三原則、そして沖縄復帰のときには核兵器は適切な形で解決されるという曖昧な答弁で、占領下の沖縄に核兵器があったことを認めない態度は到底容認できません。
そして、当時の国会決議にあったように、佐藤首相は、国会決議を遵守する、このように話しているわけです。政府の政策の変更で非核三原則が変えられるものではない、国会決議が積み重なってきた国是である。再び沖縄に核兵器が持ち込まれる、こういうことが絶対に起きないような、非核三原則の堅持を強く求めて、質問を終わります。
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柚木道義(立憲)
次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
午後零時十六分散会
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