赤嶺政賢 (日本共産党)

2025年12月8日・第219回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 184 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 192 発言)

私は自らの体験とこれまでのいろいろな資料に基づいて申し上げているのであって、政府が占領下の沖縄の核の状況を知らないことをもって私が根拠のないことを言っているかのように言うのは筋違いだと思いますよ。占領下の沖縄では大量の核兵器が持ち込まれていた。そして、私たちは核を枕にして寝ている、こんなふうに言われてきたんです。県民は、核の爆発や核戦争の危険と隣り合わせの生活を強いられました。

ベトナム戦争さなかの一九六八年には、嘉手納基地を飛び立とうとした米軍のB52戦略爆撃機が離陸に失敗し、爆発、炎上する事故が起こりました。もし核兵器を積んでいたら、もし数百メートル先の弾薬庫に墜落していたらどうなっていたか、県民はこの事故に震え上がりました。

現在の那覇空港、当時は米軍那覇基地でした、そこにはミサイルの発射基地が置かれ、ナイキハーキュリーズという核ミサイルが配備されておりました。一九五九年、兵士の一人がブースターを誤って暴発させて、核を搭載したミサイルが海に撃ち込まれる事故がありました。核爆発が起こっておれば、那覇の町は吹き飛び、私も今ここに立っていなかったと思います。

六二年のキューバ危機のときにもメースBの発射体制が取られ、沖縄は核戦争による消滅の危機にさらされておりました。

サンフランシスコ講和条約で沖縄を切り捨て、核の危険と隣り合わせの生活を強いていたことを政府、外務大臣はどのように認識しておりますか。

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