重徳和彦 (立憲民主党)

2025年11月18日・第219回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 51 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 159 発言)

日韓関係については、私自身も、今年の一月に尹大統領がちょっと政変があって混乱していた政局の中で韓国を訪問し、いわゆる議員外交という形で当時の野党、共に民主党の各議員とも話をし、結果、李在明大統領になったわけですが、これからどなたが大統領になってもしっかりと日韓関係を政府レベルにおいても維持できるように取り組もう、こういった議員外交に議連あるいは各議員の活動としても取り組んでいますので、これからも政府と一体となって健全な、良好な日韓関係をつくっていきたいというふうに思っておるところです。

最後になりますが、私は一九七〇年生まれです。茂木大臣は少し先輩であります。小泉大臣は少しお若くございますけれども、いずれも共通するのは戦後生まれの政治家であるということであります。

先日、十月十日に石破前総理が戦後八十年所感というものを出されました。それは、さきの大戦が避けられなかった、国内の政治システムはなぜ歯止めたり得なかったのか、こういう問題提起をされているわけでございます。斎藤隆夫衆議院議員の反軍演説、そして除名といったくだりもそこには書いてあります。軍事費が特別会計に計上されてなかなか手がつけられない状況だった話、政治家の暗殺が相次いだ話、特に国際協調だとか軍を統制しようとしていた政治家が多数暗殺された、こういう話もございました。

そして、今日への教訓としては、文民統制というのは当たり前のように今はありますけれども、運用が大事なんだという話が述べられました。国会議員、議会人たるものはポピュリズムに屈しないこと、縦割りを乗り越えて政府をチェックすること、ジャーナリズムも使命感を持て、歴史に学べ、こういう話がありました。

小泉大臣の所信では、我が国の安全保障環境は戦後最も厳しく複雑なものという言葉がございました。歴代大臣もそのように述べられていると思いますけれども。しかし、戦後、我々は戦争を体験したことはないわけですから、学ぶべきものは戦前しかないわけなんですね。

そういう意味で、私、猪瀬直樹さんの「昭和十六年夏の敗戦」、これも韓国行きの飛行機の中で読破をいたしました。

その中に登場するのは、昭和十六年、すなわち一九四一年ですね、開戦前の夏、総力戦研究所というものができて、そこには、三十代の若き、しがらみなき三十六人の官僚、民間人、軍人が集まって、結論的には、アメリカとの戦いには勝機はない、日米開戦は何としてでも避けねばならないんだという結論が出たにもかかわらず、実際には、鈴木貞一企画院総裁が時の内閣や御前会議への提言として、石油は南方を占領さえすれば、インドネシアの油田さえ押さえれば三年ぐらいはもつんだ、こういう話をすることで開戦に至ったということです。

これはしかし鈴木さんが悪いという話ではなくて、開戦やむなしという空気に包まれていた、こういう中でちょっと言ってみたぐらいの感覚しか鈴木総裁は持っておられないのではないかと猪瀬さんは論評されているわけですけれども。このように、開戦するかしないかということは空気の中で決める、そして、開戦までは考えるけれども、どうやって終わらせるかは曖昧だ、これが日本だ、アメリカというのは戦争が終わった後にどうその国を統治するかということまで考える、この日米の違いがあるんだということも鋭く指摘をされているということでございます。

長々申し上げましたけれども、私が思い起こしても、私が中学生ぐらいのときに学校の社会の先生が、君らは信じないかもしれないけれども、戦争を体験した先生たちがいなくなったら、あなたたちが大人になったら好戦的になって勇ましいことを言う人たちが必ず出てくる、こういう話もありました。政治家としては、今申し上げましたような、石破前総理や猪瀬さんの御著書なんかがむしろ大いに参考になるのではないかというふうに思いますが、小泉大臣と茂木大臣から、戦後生まれの政治家としてのこれからの取組についてお考えをお聞かせください。

前後のやりとり

47の発言を見る

55の発言を見る

顔写真の出典(Wikimedia Commons、4件)