実際にそういうものを手にした人たちがそう思うかどうかは分かりません。そう思わないという勢力もそれはあるんでしょう。
私どもがそう言ったとして、ああ、そうなんだねと、じゃ、我々も使うのやめようねと、そういうような期待というものに、私は国民の生命、財産を懸けるということはできません。
2025年3月27日・第217回国会 参議院 予算委員会 第13号(外部サイト、新しいタブで開きます) の 204 番目の発言(外部サイト、新しいタブで開きます)(全 227 発言)
実際にそういうものを手にした人たちがそう思うかどうかは分かりません。そう思わないという勢力もそれはあるんでしょう。
私どもがそう言ったとして、ああ、そうなんだねと、じゃ、我々も使うのやめようねと、そういうような期待というものに、私は国民の生命、財産を懸けるということはできません。
明言されないわけですね。
非人道性、核兵器の非人道性を否定しない人はいないんだと、だから国民を守るんだとおっしゃると。
だとするならば、いかなる状況の下でも核兵器の使用は許さないと、日本政府としてちゃんと表明するべきではないか、はっきりとお答えください。
私どもは、核兵器の使用を許しますなぞと言ったことは一度もない。そんなことは許されるはずがない、私たちはそう思っています。
しかしながら、では、全ての核を持っている人、あるいはそれがテロリストであり、テロ集団であり、九・一一の教訓というのはそういうものだったと私は思います、その人たちも同じように考えているかといえば、それはそうではない。そうではない人たちが核を持ったときにどうやって国民を守るかということを考えるのが責任ある政府というものだと私は思います。
全く答えていないんですね。
核兵器の使用を許さないとも言わないと。許しますと言っていないって言いますけれども、聞いているのは、いかなる状況の下でも使用は許されないと明言すべきじゃないかということなんです。はっきりお答えください。
実際にそういうものを手にした人たちがそう思うかどうかは分かりません。そう思わないという勢力もそれはあるんでしょう。
私どもがそう言ったとして、ああ、そうなんだねと、じゃ、我々も使うのやめようねと、そういうような期待というものに、私は国民の生命、財産を懸けるということはできません。
何度質問しても、いかなる状況の下でも核兵器を使用してはならないということを明言されない。言えないってことなんじゃないですか。 明言できないのはなぜなのかと。それは、総理そして政府が核抑止論に立っているからですよ。この核抑止論というのは、いざというときには核兵器を使用する、これを前提にした議論なんです。いざというときにも使わないということでは抑止にならないから、その使うことが前提になる。いざというときには、つまり広島、長崎のような非人道的な惨禍を引き起こすこともためらわない、そういう議論が核抑止論なわけですね。 この核抑止論を主張することと、核兵器の非…
この議論は、本当に矛盾がなくして解き明かすというのは難しいと私は思っている。だけども、ためらうということだって抑止力の一つなのではないですか。
それだけ非人道的であらばこそ、それをためらうのであり、相互確証破壊の理論というのはそういう面もあったと思いますが、お互いが撃ち合ったらばお互いが滅びるどころか地球全体が滅びるということで相互確証破壊の理論というものはあったはずでございます。
そこにおいて、それをためらう、それが残虐であり非人道的であらばこそ、それをためらうということも私は等閑視すべきだとは思っておりません。
いや、もう一度ちゃんとお答えいただきたいと思うんですね。
非人道的な、核兵器の非人道性を批判するんだとおっしゃるならば、核兵器の使用を前提とした核抑止論とは根本的に矛盾すると思うのかどうか、その点についてちゃんとお答えください。